自己憐憫と言うサタンの巧妙な罠

「韓お母様の夢が教えること」の内容に関して多くの意見を頂き
有難うございました


拙い表現の為、真意が伝わらなかった部分もあるようなので
改めて補足を以下に付け加えさせていただきます


「自己憐憫と傲慢がサタンの入ってくる門であるため、その門を全て閉じ
感謝と謙遜の思いを持たないといけない」
2019年9月 文顕進


自己憐憫とは自分で自分を哀れんで可哀想だと思うことです
韓お母様が「50年間耐えてきた」と言う言葉の背後には
忍耐だけをしてきた自分の歩んだ犠牲の道に対して
誰かに認めてもらいたいという意志が感じられます


多くの元老たちが独生女宣言を素直に受け入れなかったことに対して
側近として登用されたユン・ヨンホ氏だけがお母様の事情を理解してくれたというのです


「世界本部長としてユン・ヨンホを任命します。その間、皆様が理解できず、
いろんな話を皆さんが言われたことを知っています。しかし私が信じられないことを言ったとき、信じた人(ユン・ヨンホ)です」
聖婚60周年特別集会より


出版された自叙伝は殆ど自分の存在が如何に世界に影響を与えてきたかという
承認欲求のオンパレードです
これもしたあれもしたと異常なほど自分のアピールをしています
まさに「世界は私を中心に回っている」と主張しているのです


神の宇宙創造を助けた天使長が感じた愛の減少感は
認めてもらえなかった苦労に対する悲しみでもあります


冒頭で自己憐憫の背後にはサタンがいると指摘された顕進様の言葉は
教会から排斥された実体験から滲み出たご自身に対する戒めでしょう
人間は長期にわたって疎外されると誰もがこうした思いに影響されてしまうからです


犠牲と忍耐で傷ついた自分を哀れに思い正当化し始めると
如何なる人もこのサタンの自己憐憫の罠に陥ってしまいます
しかし憐憫の情に主管された人間をいくら論理で正そうとしても
簡単に変えることは出来ません
それは自分こそが最も苦労してきたからだと自負しているからです


子供が大きくなってくると親に対して見下すような言葉を吐く時があります
親は当然「誰のせいで大きくなったのか」と義憤の念が湧いてきます
その親に対して子供が一言「本心は感謝している」と言うだけで
親の心は簡単に収まるのです
感謝と謙遜の情にはまさにサタンの憐憫の情が侵入できないからです


十字架上での苦悩を全てを受け入れ「御心のままに」と感謝の祈りをした
イエスの心情にサタンは入ることが出来ませんでした
同じように文先生も苦難の中にあった時
自分の境遇を恨むのではなく常に神を慰めたという心情には
サタンが寄り付かないのです


七男の享進様は母親を「バビロンの淫婦と呼び」怒りに満ちた明王様のようですが
三男の顕進様はどんなことがあっても「母を取り戻すのだ」
と決してあきらめていないと言います


それは韓お母様を憎むのではなく
その背後にいるサタンが自己憐憫と言う思いを通して
混乱させていることを何よりも知っているからです


「独生女理論を認めることは信仰を棄てるに等しい」
と書かれた世界人さんの気持ちには全く同感なのです
しかし葛藤を理論だけで変えることが果たして本当に出来るのだろうか?
という問いかけでもあったのです


相手を理解し許し受け入れてあげることによってしか
人間に相対する背後の霊界の恨みや悲しみは解くことが出来ないことは
自分の人生を通しても常に実感してきたことです


理路整然とした理論は人を切ることが出来ても心をますます頑なに閉ざし
決して受け入れようとしない精神状態に追いやることもあるのです


教義論争はキリスト教の歴史においても正統異端の真偽を延々と続けてきました
それぞれの教義解釈にはそれなりの裏付けがあるからです


だからこそ実態を見せることが何よりも大切なのでしょう
自分を裁判にかけ訴える母を心から案じて心配することは
真の愛の伝統が身についていなければなかなか出来ないことです
顕進様は実態でそのことを証明しようとされているのです


私たちが闘う相手は自己憐憫の背後にいる悪なる勢力であって
人ではないのです

×

非ログインユーザーとして返信する