あなたもメシアになりなさい

晴耕雨読の生活を目指して、定年後、古民家を購入して
リノベーションをしたのですが、家のあちこちにガタが来るので
定期的に修理するのが日課の一つになってしまいました
また庭に落ち葉や雑草も伸びてくるので毎日が庭掃除の連続です


禅僧が毎日敷地を清掃するように
黙々と壊れた所や汚れた場所を掃き清めるのですが
何が素晴らしいかといえば
修理や清掃された場所がまさに命を得たように
日々新たに生き生きと蘇るのです


修繕をしながら元の状態に戻し
汚れた場所を清掃することは
似つかわしくないかも知れませんが
「復帰とはこういうものなのか」と何度も心に感じ入ることがありました


廻りを修復し清める行為は結局
「自分の心を修復し清めているのだ」と言うことに
漸く気が付いて来るようになりました


今週は古く燻んで所々が剥げ落ちてきた
ベランダのペンキ塗りでした


灰色の床を基調に囲いは白で塗り
全体の枠を濃紺色で仕上げるつもりですが
ペンキを塗ると古びた床の木が
見る見るうちに新たな色彩を帯びて
一点のシミもない状態に蘇って行くのです


今度もこれが復帰の心情だと一人悦に感じていたのですが
今朝起きてみると
何ということでしょう


真新しい床のあちらこちらに見事な点状になった
鳥の糞が落ちているではないですか


思わず「この野郎!」と思いながら
慌ててバケツに水を溜めてブラシで汚れを落としました


すると床は再び塗り立ての光沢を取り戻したのです


鳥達に対する一瞬の怒りが
自分がその後始末をすることによって
消えていったのは言うまでもありません


皆さんメシアとは何だと思われるでしょうか?


完成人間
理想家庭のモデルになる人
世界を治める王
その他、多くの神学的概念等々


ご存知の様にイエスを神格化したキリスト教は
イエスを完全無欠の神の様な存在としてイメージを構築しました
完全と言う概念から判断すると確かに人間は誰もが不完全となり
神と同等のイエスのみが完全無欠だということになります


では完全無欠とは一体どの様な状態なのかと問われると
実は誰にも良くわからないのです


自分の願う理想的な人間をメシアとして思い描くのでしょうが
理想とはあくまでも自分における理想であって
当のメシア本人はその願望の様にはなっていない可能性もあるからです


従ってメシアが自分の描く理想に合致しない時
何が始まるかといえば
終わりのない論争が始まるのです


同じように
「アボジとオモニは完全に一体化している?」
完全という誰にも分からないことを強調するのは
それを主張する人たちの願望であって
一体化しているかどうかの実態は誰にもわからないのです


話を元に戻しますが
メシアの完全性に関しては誰にも実証はできないということを
言いたかったのです


ではメシア性とは何なのでしょうか?


そうです
今朝の私のメシア性は
一瞬の怒りを微笑みに変えて
汚した鳥の後始末を自分が
喜んで行ったことなのです 


「あなたもメシアになりなさい」と言われた文師の意味は
あなたの隣人の痛みや悲しみに寄り添って共に歩き
その重荷を背負ってあげる心情のあり方(メシア性)を言ったのだと思っています


死にゆく老人の中にイエスを見たマザーテレサは
イエスがメシアであることを証明できるのは
自身が身をもって老人に尽くす時
イエスのメシア性を引き継いでいたからです


アフガンに灌漑施設を建設し不幸にもテロの犠牲になった
中村先生のように国や地域の中でメシア性を発揮した人もいれば


自分の小さな区域の中でささやかに「為に生きる人」もいることでしょう
何かの為に、誰かの為に自分が重荷を背負う


会社内で
ボランティアで
芸術活動で
そしてこのブログでも
メシア性をもって生きることはいつでもどこでもできるのです


メシアとはあなたが理想とする人間ではなく
まだ足りない、まだ足りないと自戒しながら
世の中の汚れたものを清掃する人のことなのです


崇拝するものでもなく
ひたすら
そして淡々と
当たり前の様に
メシアの心情(メシア性)をもって行為すれば
あなたもまた一人のメシアになるのだと言うことです


一隅を照らす


そんなメシア性を持った人間が世界中に溢れてくれば
それが地上天国と呼ぶのに一番相応しいのでしょう

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