実体のメシアとは誰のことか?

祝福の恩恵とは?
実体的メシアとは誰のことなのか?


文先生は何度も霊界の空気は愛だと言いました
空気が無ければ生きることが出来ないように
霊界は愛が無ければ生きることが出来ないといいます


神の本然の愛を「真の愛」と定義し
この真の愛の相続を個人から天宙の霊界にまで繋げることを摂理と呼びました
真の愛の秩序を地上に立たせるために
「死んでも神の血統を残す」という逆の経路を辿る蕩減原則に沿って
神が選んだ女性がタマルとマリアでした


彼女たちは罪なき独り子を迎えるために
「死ぬと言われて食べた」堕落の経路を「死んでもいいから神の血統を残す」
という蕩減路程を勝利しその基台の上にイエスが実体として誕生したことが
血統転換の役事でした


その目的は真の愛を地上に顕すことの条件的な基台を造ったのでしょう
死をかけて愛を自分のものにしようとした天使長の行為を
死をかけても神の下に返そうとした彼女たちは壮絶な霊的闘いに打ち勝った
紛れもない選ばれた女性たちだったのです


その基台の上に生まれたイエスも愛が自然に身についたわけではありません
「真の愛」を相続するためには成長期間を通過しなければならない原理があるからです


その闘いの証が三大試練に現れています
自分を愛する以上に愛が神のものであることを証明するために
自分の肉体を捧げた四十日間と言う死を象徴する断食を条件に
肉の試練を乗り越えた時、初めて個人の中に神が定着したのです


しかしイエスは無念にも十字架に架けられることによって
その使命を果たせなかったと言うのが文先生の啓示でした
それは神の愛が完全に定着させることが出来なかったというのです


八大教本に「真の愛」の体現者となる為には
心情の八段階を歩まなければならないと書かれています


「従って、全人類は八段階の復帰家庭を経て、神様の子女としの立場を取り戻さなければなりません。本来なら、腹中時代を経て、幼児時代、兄弟時代、婚約時代、夫婦時代、父母時代、祖父母時代を経て、王と女王の時代まで八段階を経なければなりません」
八段階とは簡単に言えば家庭なしには神の愛は実現できないということです


では愛の減少感を感じて自己中心の天使長の血統を引き継いだ人間は
祝福と言う恩恵を受ければ真の愛の相続が出来るのでしょうか?


答えは否です


何故なら愛の利他性は自然に与えられるものではないからです
幼児期においては子供はみな自己中心的です
それは肉体の本能的欲望が愛の他者性を上回っているからです


その意味では堕落によって自己中心に陥ったというのは間違いです
正しくは自己中心性から愛の他者性への成熟が出来なかったと言うことです
それを象徴的に示した説明が「長生期完成級での堕落」と言う表現です


肉体の中にある免疫性は肉体を保護しようとする自己保存欲の現れです
遺伝子の自己中心性を利己的遺伝子として学術的に発表した学者さえいます
人間は何人といえども幼少時は限りなく自己中心的なのです
この自己中心性から他者中心へと成長していく期間が
人間の責任分担だというのが創造の原理でした


それは言葉を換えれば愛の流れを自己中心性から
他者中心性へと成長させていくことなのではないのでしょうか?
その途上を間接主管圏と呼び神さえも間接的にしか関与できない
人間だけに与えられた責任分担だと言ったのです
従って責任分担を果たして直接主管圏に入ると言うことは
神の愛が自然に流れてくる愛による主管性が立ったことをいい
「石をパンに変えてやる」という肉体の試練を超え「神の住む宮」となった
人間がイエスだという事なのです


堕落とは神の愛である
対象に価値を置く父母の愛に至らない未完成状態」のことを指し
復帰とは必然的に真の愛である父母の心情を体得することとなります


家庭の中では子供は父母から十分な愛を受けなければなりません
子供は受けた愛の力によって次第に自己中心性から兄弟の横的関係を通して
愛の他者性に目覚めて行きます


そしてその実りが結婚です


愛が他者の中に完全に実る結婚は誰しも自他の壁のない幸福感を体験できるからです
真の愛とは相手を自分以上に貴重に思い「対象の中に愛を見つけ愛の相互関係が霊肉を通して確立された夫婦となること」によって神が臨在するというのが宇宙の根本思想です


原理の自律性は肉体の成長であって心の成長ではありません
それゆえ自動的に与えられた祝福はあくまでも許されて再出発できるという
象徴的な条件なのです
その条件を受けることが目的化してしまうと霊界では
真の愛を吸って生きることは出来ないことになります
あたかも学問もせずに卒業証書だけを貰って大学を出たようなものです
中身が無いので通用しないというのです


教義や思想は実践が伴って初めてその価値が証明されるのは言うまでもないことです
成長過程を通して愛の利他性を身に付けない限り
霊界では身動きできないのでそういう人は霊界では非常用の人工吸入器をつけて
生きているような状態だといいます


文先生は数多くの儀式や宣言を霊界に向かって宣布しました
それはご自身が実体的に闘った心情の復帰を勝利した象徴的な印です
霊界の壁を崩すためには実績がなければ壁は崩れないからなのでしょう


真の愛に込められる愛の利他性は祝福を通して自動的に降ってくるものではなく
地において自らの体験を通して完成していくものなら
愛の利他性を自分の身に付けない限り「霊界では呼吸さえ出来ない」
と言うのは文字通りの意味なのです


先祖解怨をして献金を治めれば天国に行けるのではなく
それはもともとなかったマイナスの霊界を解放するだけのことです
無原罪で生まれたアダムとエバが堕落したように
人間はあくまでも成長期間における自己の責任分担である
真の愛の体現者にならなければ完成しないと言うことです


祝福の恩恵とは実体なのです
では誰がその実体の恩恵である愛の祝福を与えてくれると言うのでしょうか?


それこそが目の前にいる自分の相対なのです
霊肉の解放とは実体を持って心情を復帰しない限り
キリスト教の霊的救済と何ら変わることがありません
イエスや教祖から言葉で愛されたと言うのは霊的なことです
神の愛は実体を通して復帰されなければならないので
主体者は「愛を与えて与えたことも忘れる」真の愛の原則で
目の前の対象者に注いだかどうかが問われるのです


救いとは信じることによって救われるのではなく
実体のメシアに愛されることによって以外に救われる道がないからです
第一次アダム、第二次アダム、第三次アダム、第四次アダム
あなたはこうしたアダム圏の中の貴重なアダムの一人なのです

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