宗教二世の為に

宗教二世の若者に必要なことは自立しているかどうかと言ことでしょう


社会革命が今にでも起きるかのような危機感の中で
宗教生活に献身した親の世代は教会組織への忠誠が何よりも求められました
特に戦後世代は敗戦後、日教組によって自虐史観が骨の髄まで教育されたので
原理の教える蕩減思考はものの見事に合致したのです


宗教一世の思考の中には自立と言う概念は希薄でした
極端に言えば中心者の命令に絶対服従すると言う上下関係が徹底されていたからです
こうした状況の中で展開された俗にいう献金摂理は巨額な収入を上げると同時に
この運動の底流に依存体質を無意識のうちに増幅していたのです


通常Fと呼ばれたFundraising(資金集め)は命令を下す方も
又その指令を受けて従う方にも何が育たなかったかと言えば自立意識が育たなかったのです


第一イスラエルの失敗、第二イスラエルの失敗が
中心人物に従わなかったからだと教えられると
自己否定をして中心者に従属することが信仰者のあるべき姿として称賛されました


上からの指令による一方的な人事異動も一部の人間を除けば
定着する場所も専門的な業務に精通する余裕も与えられず
結果的には流浪の民を生み出しただけでした


本来、家庭を持てば環境的にも整備され、父母が子供に正しい教育を与えることが
何よりも重要なことであるのでしょうが、
この運動は危機感を煽るだけで、一般の信徒は朝から晩まで家庭を顧みる暇もなく
半ば強制的に働き続けたのです


生活を自立させ社会生活に必要な最低限度の経済的な保証もなく
Fの重しだけを課せられた一世は確かに自立しようにもその為の原資もなく
其れこそ病気になるか信仰に疲れ果て離教する以外に
この組織から離脱する方法がなかったのでしょう
それが証拠に経済活動に奔走した信徒は殆どが借金地獄に落とし込められ
今もその返済で苦しんでいるのです


ユダヤ人の経済教育はお金の正しい価値観を教え
貯蓄や管理そしてどうやったら豊かにそれを増やしていけるかという
経済に対する責任を幼少時から教えるといいます


タルムードには父親がそれをきちっと教える義務があるとも書かれています
それは経済的に自立して初めて世の中に対する責任を果たすことが
出来るからだと言うのです


ところが統一運動の指導者層の中には信徒にだけ重労働を課せ
非生産的な稼ぎ方をさせた挙句に不法な手段でその営利を得ていたものも
少なからずいたのです
彼らは自分たちの生活の基盤だけはしっかりと築いていたので
今もそれなりの収入を得ているのです


それに比較するとユダヤ教の宗教指導者たちはそれぞれの職を持ち
その上で公的業務を行うので統一の指導者のように
信者の献金を当てにすると言うことはないようです
何人であろうとも労働の対価を得ることが自立するための
基本的な価値観でもあることを民族の歴史から学んだのでしょう


第一イスラエルは失敗したと言うことだけを強調してきた原理観は
ユダヤ人たちの不屈な精神がどこからきているかについては無頓着です
国を追われ世界中に離散しても民族としての意識を失わなかったのは
彼らが選民としての自立する教育が続けられていたからです


蕩減思考が染みついた一世の世代はそれなりの摂理的意義があったことは認めても
もはやその時代は過ぎ去り今は蕩減のない新しい世代になり
それぞれが金銭の奴隷ではなく、又、経済的に誰かが自分たちを支えてくれる
と言う依存関係でもなく、自立した生活を基盤に共生への道を探していく時代なのです


旧家庭連合は未だに献金摂理を叫んでいる指導者たちがいるようですが
献金に依存する以外に自分たちの生きる術がないからです
自立できない公職者に対してどれ程、教義論争を問いかけても
彼等が馬耳東風なのは生活が何よりも最優先だからです


宗教組織が信者を食い物にすると言うのは
信者によって支えられている公職者がいる限り決して無くなることはありません
摂理と言う名のもと日本人だけにその対価をはらわせ
「世界を救済するのだ」と言う脅しのような責任感を植え付けて
「国家復帰」、「国家復帰」と半世紀以上叫んできたのです


「2023年までに新たな神殿を天の前に奉献しましょう」


神がとっくに一人ひとりの中に降りてくる時代に
地上の栄華を見せて誇ることに何の価値があるのか分かりませんが
鶴子女史の彫像と言い、こうした権威を見せることが神のみ旨だったとは
何とも表現のしようがないほど悲しい現実です


絢爛たる黄金の建物の中に見つけるものは常に宗教者のエゴであって
神の本当の摂理は生きている実体神殿である人間の中に住まれることなのです
これからの若者は手に職をつけ家庭での教育を中心に
組織への公的任務は奉仕活動ぐらいにするべきなのです


霊界の位置を心配し天寶苑への記載に奔走することより
自分自身の実体神殿の確立に粛々と励むことです
もう誰かによって踊らされる時代は終わったのです

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