権力と権威の危険性

権力に対する欲望は政治家のみならず
あらゆる指導者にとって最も魅力あるものなのかも知れません
しかしこの権力を正しく理解しないと多くの人間を苦しめることになるのです


特定の国家が影響力拡大の為に、政治的、軍事的、経済的な力にものを言わせて
他国に介入し、他国の領土や主権を侵害することを覇権主義と呼びます
この覇権主義は古くはヨーロッパを中心にキリスト教の布教という大義名分を翳して
スペインやオランダそしてフランス、イギリスまでもが
アジア、アフリカ、中東、南北アメリカ、オセアニアに至るまで
世界を植民地化して来たのです
植民地として収奪された土地には先住民が住んでいましたが
力のない彼らが受けた扱いはまさに人種差別どころか虐殺でした


覇権主義による権力の行使は現代ではグローバリズムとなって
市場中心主義の欲望の資本主義として継続されています
世界の富を自分たちだけに集中させるやり方は経済的覇権主義だからです


権力の行使が危険なのは思想的に権威化させた時にも現れます
自分たち以外の思想は認めないと言う宗教信条と重なると
多様性に対する寛容な思いが薄れ、排他的になり、
他方を一方的に自分たちの宗教信条に従属させようとするからです


民主主義は権力を限られた人間に集中する危険性を学んだが故に
主権在民としました
限りない人間の欲望は権力を持つたびに暴君を生み圧政の中で人々を苦しめます
どれ程、美辞麗句を述べても権力者の生活が一般民衆の生活と比較した時に
大きな格差があればそれは権力の行使となるのです


では権力と権威とはどう違うのでしょうか?
権威とはそれぞれの分野で優れた技能や知識を持った人が醸し出す
威厳のようなものですが、本来そのような権威は慎ましいものです
しかし権威者の振りをして、それを強制するとそこから権力が発生するといいます
従って権力とは上からの強制的な力だともいわれます
独裁者たちは権威を盾に人間から自由を奪い、権威の前に隷属や服従をさせるのです


従って服従や忠誠を強要するときには気をつけなければなりません


「全世界の統一教、霊界、地上界、祝福家庭食口、特にUCI指揮下にいる
全ての食口たちに次のような事項を指示する!
まず、全食口は、永遠・永生の世界に立った御一人である真の父母様の
指示と命令に絶対に服従しなければならないことを忘れてはならない!
これが統一家の永遠の伝統であり、信仰である!この点については、天宙的に真の子女も、一般食口も同様である・・・・」
真の父母様宣布文


この時の文師がどのような精神状態だったのかは知る由もありませんが
晩年に於ける内部の混乱は権威を奪う権力闘争以外の何ものでもありません


神の愛は強制するものではなく、又その権威の前にひれ伏すことでもないのに
こうした文言が独り歩きをすると信徒に対して自己否定を強要させるだけではなく
本来の創造原理に於ける自己の中に働く神性をも否定させることになるのです


光が万象を照らすように
空気が無償であるように
創造原理の神とは万民にその無償性を等しく注ぐ神なのです


もし絶対服従と言うものがあるとすれば
それは誰か特定の人間の命令に服することではなく
人間が本来持っている神性や仏性、良心に服従することなのでしょう


愛は人間を支配するのではなく
愛の持つ無償性によって人間を自由にさせ
束縛から解放する事だからです

×

非ログインユーザーとして返信する