霊的覚醒の為に

自己否定と無心とは違います


教会生活では堕落によって自己中心的になったと教えられると
自分の欲望や欲求を否定してアベルに従うことが
正しい信仰の道だと信じている人がいるかもしれませんが
これは単に自己を抑圧して誰かの指令に従うだけで
一時的に自己否定をしているだけなのです
その証拠に何年たっても自己中心性は無くなりません


無心とは通常の生活において如何にして本来のあるがまま
平常心の状態で生活ができるかということです


デカルト的二元論では対象世界に対しては
独立した自分である主体と対象は切り離された関係として捉えます
主体である自我は世界の只中に自分自身を投企して
直接的に事物に影響を与え、事物から影響を受けながら
別々に存在するという立場を取ります


しかしこうした経験的世界観では自我とそれ以外との間の
区別が明確になるだけで、距離があることを否定できません
無心とは自分と外部にある対象との区別を
粉砕する基盤の上に実現する内的境地のことです


仏教の無心あるいは無分別とは
自我による分別意識の前の状態をいかにして悟るかと言うことです


なぜ人間に眠りがあるのか?
熟睡状態においては自我がないので当然ながら無心なのです
いかなる人間も熟睡状態では何かによって生かされているという
状態があるだけなのです


これを無分別状態と言います


この状態から朝になると目が覚めると同時に自我が立ち上がります
この自我を自分というのは
自らを無分別状態から分別状態に分けるから自分というのです


自我は自分と自分以外を分別することから始まります
哲学的にはこれを二元論と呼び
人間はこの二元論的状態にあるうちは一元性である神や仏さえも
二元論的思考の中で対象的存在として限定化してしまうのです


無限の根源者を限定するこの自我の働きを野放しにすると
そこに必ず比較や葛藤が起きてきます
唯物思想はこれを正反合と呼びました
原理では正分合と言いますが
対象と自分は違うと思う人は正反合思想に近いのです


夜寝ているときに生かしている神がいるとしても
朝の目覚めとともに自我が体を主管すると殆どの人は
この身体は自分の体という意識になるので神の体だと思えなくなるのです


それほど自我意識は強烈に体と一体化しているというのです


仏教ではこうした自我意識は迷妄だと教えています
では本当の私とは誰なのか?ということになるのです


神や仏を自分の前に対象化する二元論的思考をしている限り
神の実存的理解は信仰のレベルを越えることができません
対象化ではなく神を自分の背後に感じて神を着る状態にならない限り
自分の中に生きる神はわからないからです


共鳴感覚を育てると事物の背後に生きる見えないものを
感じることができるようになります
これを瞑想と呼ぶのですが
詳細は各自の修行領域ですので省きます


創造原理である神人一体化とは無分別状態を悟ることだともいえます
それに対して分別とは原理的にいえば蕩減思考に当たります
蕩減の目的は対象との一体化ですが分別することだけを重要視していると
本質が見えなくなってしまいます


たとえば花の例を言えば


目の前に花があります
花と私は別個にそこにあると思う人は二元論者です
神の正の位置に立つと分である「見る私」と「みられる花」は
別個なのですが同じ次元なのです
それは美しいという情によって合一となるために分かれているだけのことなのです


正分合の正しい精神性とは主体が対象に対して自我ではなく
神の目で見ることをいうのです


神の目とは対象に対して徹底することでもあります
例えば家のトイレを掃除するとき
どれだけ徹底して一つのことに誠を尽くせるかということ
徹底すると清掃中に自我意識がなくなり、
磨いているという状態と磨かれている状態だけがあるのです
この状態の中では主体と対象は一つなのです
これを仏教では無分別智と言います


生きているとはあらゆることに対して動的な状態を形成することです
この動的関係性を原理では授受作用と呼びそのフォーメーションを四位基台と言います


花を生かしている空気、光、水
私を生かしている空気、光、水
この一つでもなくなれば私も花も存在できません
空気や水そして光の主体に出会うにはどうすればよいのでしょうか?
それが湧き上がる心情なのです
形のない見えない心情はあらゆる対象との関係性を通して
忽然と湧き起こってきます


この忽然と現れる心情が神から来ているのです
だから心の現れが神の現れとなるので
「我見しもの神を見るものなり」となるのです


生かしているものは神なのです
実在者、根源者、それを我々の父なる神と呼んだのです
人間は実体を持った自然と切り離すことができない
一体となった神の現れないのです
無心とは忽然と現れる意識の鏡に常に気が付いていることです

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