先祖解怨と日本のお盆
こういう詩があります
「今日はお盆
一日こころ静かに
妻にも子にも温かい心で接し
人を恨まず人を傷つけず
父を思い母を思い
仏(神)に繋がる有難さに充ちて
草にも木にも水をやり
もろもろの恩に感謝しよう」
坂村真民
人間は堕落の血統だと教えられ
それが人類始祖のアダムとエバから始まったので
先祖は全て罪人だとして否定することから始まるのが堕落論です
歴史の悲劇、惨状、憤怒、憎悪、戦争
ありとあらゆる負の部分をこの堕落の論理で強調したのでした
しかし本当は自分が生きているのは
こうした先祖との生命の繋がりが無ければ
生まれることさえ出来なかったはずです
この先祖に対してUCでは先祖解怨と言う清平での儀式が
彼等を救済できるものだと今でも重要な摂理として行われていますが
要するに「私たちがあなた方を救って上げるのだ」という考えが
根底にあるのではないのでしょうか?
先祖から尊い生命を与えられても
彼等は全てサタンの血統と言う言葉で審判するなら
果たして先祖は喜ぶのでしょうか?
また、あたかも自分たちこそが先祖を解放する
救い主のように振る舞う限りにおいては
感謝も謙遜の思いもそこには見ることが出来ません
では全ての先祖は私たちに生命を与えたことを申し訳なく思い、
そのことを悔いているのでしょうか?
そして献金を捧げられて絶対善霊に変わることを
清平で列をなしながら熱望しているのでしょうか?
毎年、夏になると盆休みになり、墓参りに行く風習が日本にはあります
それは亡くなった先祖に対して自分たちが与えられた命に感謝する風習なのです
今生きてあるのは先祖があってのことであり
仮に一人でも欠けたら自分の存在もなくなるのです
私は清平解怨式をすることより
冒頭の詩のような温かい心をもって
「お父さん。お母さん。そして先祖の皆さん、自分を生んでくれて本当にありがとう」
と感謝の念を捧げ、その恩に報うために
「人の為に、世の為に一生懸命働いて頑張ります」と
正直な気持ちを伝えることのほうが大切なように思えるのです
本当に彼らが解放されるとは私たちがこうした日常生活の中で
先祖の恩に感謝しながら精一杯生きることが何よりも大切なのではないのでしょうか
今年はコロナの蔓延でお墓参りも出来なかったと言う声を聴きますが
どこにいても手を合わせ心の中で供養することは出来るので
先祖に思いを馳せてみることも時期に適ったことのように思えます