検証の必要性

「個性完成をした人間は神の喜怒哀楽を直ちにそれ自体のものとして
感ずるようになり、神が悲しむ犯罪行為をすることが出来なくなるので、
絶対に堕落することがない」
創造原理


人間の心にある分別意識とは善と悪 真実と虚偽を判断できることを言います
それは言葉自体の中に相反するような言葉がもともとあるからです
主体と対象、上下、左右、光と闇、快と苦、喜びと悲しみ、怒りと優しさ、
まさに喜怒哀楽そのものが相反する情感です


戒めを与えられたのはとって食べても良いのか、いけないのかの善悪判断をする
意識が堕落前にもあったということです
この二項に分立した状態が分別の世界だと仏教は教えます


次のような話があります


誰かに褒められようとするわけでもなく、純粋に奉仕の精神で
町内をきれいにしようと始めた清掃行為も、毎日続けていくと
次第に無神経にゴミを捨てていく人に対して、失望と落胆の思いが生まれます
その思いが蓄積されると怒りとなり、許せなくなるかも知れません
そうなると「街を綺麗にする人」「街を汚す人」
この二項の対立が生まれてきます。
これが人間の中にもともとある分別する意識だというのです


思うようにならない社会に対して悲嘆したり、憤りを覚えることはよくあることです
この憤怒は善でも悪でもありません
怒りは一つのエネルギーのようなものです
火山のエネルギーが噴火によって甚大な被害がでます
しかしこのエネルギーを上手に使えば温泉となります


何を言いたいのかと言えば
二項の対立は原理で言う堕落によって生じたのではないということです


喜怒哀楽のなかには怒りも嫉妬もあるのです
それが神の心情だからです,
「戒め」とは
その創造本然の心が人間の中に湧いてくるから戒めなのです


「このような嫉妬心は、創造本性から誘発されるところの不可避的な副産物であり、それはちょうど光によって生ずる、物体の影のようなものと言えよう」堕落論


個性の完成とは一切の否定的な情感を持たない超人間的なイメージではないのです
あくまでも心の喜怒哀楽を正しく判断して主管することが出来るかどうかなのです


堕落したからカインの心に憤りや怒り、嫉妬心が血統的に相続されたのではなく
天使長ができなかったことは喜怒哀楽を主管できなかったことなのです


従って血統とは心の中の様々な思いを主管できない状態で実を結んだことを
サタンの血統と呼んだのでしょう
肉体の持つ、食欲、性への欲求が悪ではなく
その欲望を正しく判断して主管できることを神は人間に求めたのです


第一祝福を個性完成と呼び、その成長期間を間接主管圏と呼ぶのは
神の直接主管圏に至るまでの主管性を立てる期間のことです
失楽園が人間の心に嫉妬や怒りを生み出し
それが堕落の結果ではないということを明確に知るべきです


総序にも紛らわしい表現があります


「人間の堕落を知的な面から見れば、人間が無知に陥ったと言うことを意味するのである。
・・・人間はどこから来たのか、生の目的とは何か、死後は一体どうなるのか、
更に進んで来世や、神などと言うものは果たして存在するのか・・・」


聖人や哲人も生まれながらに真理や神を知っていた訳ではありません
文師も人生の目的とは何か、神がいるのならなぜこんな悲惨な世界なのか
16歳の時に霊的にイエスに会うまでは、こうした真理の探究をしていたというのです
真理や神の実在はそれを知的に認識する能力がなければ誰にも分からないことです。
認識とは言葉を得ることによって初めて可能となります
言葉を知らない幼児や知識の少ない子供が無知なのは堕落とは何の関係もないことです


成長期間とは家庭の中で言葉や情感を学んでいく期間です
それを教えるのが父母であるので
その父母が神の心情と一つになっていれば
家庭の中で子供は自然に真理や愛に目覚めていくということです


堕落論の弊害は人間を無能な存在、無知なる存在、罪人として強調しすぎたが故に
「祭物には口がない」と骨の髄まで蕩減思考と堕落人間の無価値性を徹底されたので
自分の中に生きる神を見失い、外的な権威者に従う思考停止人間を生んだのです


本当は全ての人間が持っている神性である良心を成長させることに
もっと力を注ぐべきでした
良心の力が育てば、影のような嫉妬や怒りの情感を主管することは
そんなに難しいことではないからです


検証の時代とはこうした原理の言葉をより客観的に分析することなのです
文師の膨大な言葉や説教はその時の時代背景や
誰に対して語っているかによって正反対のような文言も出てきます。
晩年は夜の神様、昼の神様など、従来の原理観では掌握できないような言葉も
数多く出てきています。


文師の膨大な教えに対して、都合の良い処だけを引用するのではなく、
聖書に対して聖書批判学があるように、客観的な検証をすることが
何よりも必要な時が来ているのでしょう

×

非ログインユーザーとして返信する