バスを待ちながら

「バスを待ちながら」というキューバの映画のことです


とある町のバス停で見知らぬ人たちがバスを待っている
だがバスは来ない
何時間待ってもなかなか来ない
ある人は何日も待っている


やっと待っていたバスが来る
が、乗ることが出来た人はたった一人
大半の人は乗りそびれて、又 再び次のバスを待つ


そのうちバスに乗ることをあきらめて
バス停周辺で生活を始める
それが意外に楽しく
そして感動的なラストシーンが・・・という設定の映画です


ユートピア理想を掲げたキューバの現状を
この映画は寓意で表しているのですが
まずはバスが連れて行く「目的地」
今ここにはないが、いつの日か来る輝かしい未来は
外から他律的に与えられるということ


バス停で待つ人たちのリアルな生の時間は
現実には未来世界へ行くための単なる手段としてあるだけで
時間表に支配されるリアルな「今ここ」の生は
未来によって略奪され空白化されている


バス停で待つ
何かを待つ
いつか来る夢や理想の為に
今を犠牲にしながら
そんな待つ姿勢が生活の中心になっていると
この映画は問いかけるのです


このいつかどこかにあると思われる
未来の何かを求めている人たちは
列をなして待っているのですが
その何かの到来はなかなか来ない
時折バスが来ても乗れる人は限られている
こんなはずではないとじっと我慢をして耐えるだけ


現実のキューバの社会を寓意したこの映画は
理想を実現できない痛烈な批判を含んでいます
現実を犠牲にするあらゆるユートピア運動は
その殆どがいつかくるはずの理想を掲げて
人々にバスが来ることを語りながら
じっと待たせるのです


この映画の大切なところは
来ないバスに見切りをつけて
バス停の周辺で生活を始めた人たちです


いつか来るバスを待つのではなく
彼らはバス停が所有する壊れたバスを修理し始めるのです
そして互いに協力し始めると
今まで知らなかった彼らの中に
不思議な連帯感が生まれてくるのです
次第に友情や信頼感が湧きあがり
どこかへ向かうためにバス停に来たはずなのに
この場所から離れたくないと思い始めるのです


「今ここ」の生活を大切にすることに気が付き
理想社会は自分たちの現実の時空間の中から作り上げる以外に
どこにもないということに目覚めていくのです


ユートピアを他律的に求めた全ての思想の問題点は
「今ここ」を忘れてしまい唯一の生の現実を
未来に売り飛ばし犠牲にするところにあります


後天時代が「今ここ」ならば
何よりも「今ここ」で神と共に生きるということなのでしょう


非原理的に先行した共産主義国家が
限られたエリートだけが支配する独裁国家になるのは
「今ここ」の理想が実現できないからです


氏族メシアの使命はどこか遠くの未来にあるのではなく
「今ここ」に作り始めて行く以外どこにもないのです

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