バスを待ちながら

「バスを待ちながら」というキューバの映画のことです とある町のバス停で見知らぬ人たちがバスを待っている だがバスは来ない 何時間待ってもなかなか来ない ある人は何日も待っている やっと待っていたバスが来る が、乗ることが出来た人はたった一人 大半の人は乗りそびれて、又 再び次のバスを待つ そのうちバスに乗ることをあきらめて バス停周辺で生活を始める それが意外に楽しく そして感動的なラストシーン…

祝福の本質

祝福とは神の血統を残すことですが 文先生が「君たちがタマルのことを研究すれば全てがわかるよ」 と言われた祝福の本質とは何だったのでしょうか? 堕落論によれば堕落の動機は天使長の自己中心性から始まったと言います 神の復帰摂理はこの動機を神の動機に転換する事でした だから血統の本質とは神の動機のことであり、それを正すことを言ったので 血統相続とは言わずに血統の転換と呼んだのです 「血統転換とは心情の…

実体みことば・コトバの本質

言葉の機能は物事を分節する事ですが 目の前に花があれば花という言葉を発したことによって 分節された花が個的存在として現れるのです 人間は言葉によって全ての存在物を分節化していきます しかし此処に落とし穴があるのは目の前の花は それぞれが見た花だという事です つまり花はそれぞれの自分の主観的認識であって それが花の本質とは限らないからです これがカント哲学の物自体は誰にもわからないという事なのです…

祝福とは

「愛の前には神も屈服する。愛が先にあって そこから神も人格神となった。人格とは愛のことを言うからである 祝福の本質とはこの愛の種を万人に芽つぎすることです」 神は愛である 愛は相手の中に入ることでもある 人間の食生活は動物や植物を体の中に入れることです だから食事は最高の感謝と喜びで食するべきです それら犠牲となった万物の生命を食べて生きているからです これを供儀と言います 供儀とは神の中で一つ…

日常こそが神の実体的感覚の場

原理とは生きている現実のことです 神を中心として主体と対象が一体化すれば四位基台を造成する こういう哲学的説明も良いのですが言葉は往々にして日常生活から離れてしまいます 神を中心として生活するとはどういうことなのか? この簡単な事実が生活に降りて来なくなると 祭壇を作り仰々しい祈りや儀式に変わるのです 一杯の水を飲む するとその水が喉を潤し なんとも言えない満足感が心に広がります 「嗚呼、実に美…

沈黙の響き

人間は不思議な存在です。その不思議に気がつくと、実は自分自身がその不思議そのものだったという事になるのです。私たちは子供に何かを教える時、分かったの?と聞きますが 子供はウン 分かったと答えるのは物事の道理を知って答えるというより、一時的にそう言えば物事がうまくいくと思って答えているだけなのです。 学校教育の殆どはどれだけ分からせるかということで教えていますが、この分かるということは物事の半分だ…

解散請求の隠された真相?

今回の旧統一教会の解散請求をなぜ国が先導したのか? それは国の安全保障が侵犯される思想が運動の中に感じられたからだと分析する人がいます。確かに「岸田を教育せよ」という指令が組織のトップから出てきたことはあまりに無神経だとしか言わざるを得ません。想像してみてください、イスラム圏で同じような言動でその国のトップにこのような指示を与えたらどのようなことが起きるのかを。 日本における家庭連合のトップは長…

宗教法人の解散について

「寺院消滅、失われる地方と宗教」という本があります その中に「25年後には35%の宗教法人が消える」と書かれています。 その主な理由は地方の人口が都市に流出することで市町村が合併したり 消滅していくからだというのです。 過疎化していく市町村に所在する宗教法人はなんと6万余あるとこの本では試算しています。確かに人のいないところの寺院の存続は難しくなるだろうと素人目にも思えるのです。 しかし、こうい…

神と私

自己否定と無心とは違います 教会生活では堕落によって自己中心的になったと教えられると 自分の欲望や欲求を否定してアベルに従うことが 正しい信仰の道だと信じている人がいるかもしれませんが これは単に自己を抑圧して誰かの指令に従うだけで 一時的に自己否定をしているだけなのです その証拠に何年たっても自己中心性は無くなりません 無心とは通常の生活において如何にして本来のあるがまま 平常心の状態で生活が…

宗教二世の為に

宗教二世の若者に必要なことは自立しているかどうかと言ことでしょう 社会革命が今にでも起きるかのような危機感の中で 宗教生活に献身した親の世代は教会組織への忠誠が何よりも求められました 特に戦後世代は敗戦後、日教組によって自虐史観が骨の髄まで教育されたので 原理の教える蕩減思考はものの見事に合致したのです 宗教一世の思考の中には自立と言う概念は希薄でした 極端に言えば中心者の命令に絶対服従すると言…

あなたも独り子です

あなたは私の愛するかけがえのない独り子です あなたがお母さんの胎内に宿った時から 私はずっとあなたと共にいたのです あなたが何處に行こうと 何をしようと私はあなたと共にいたのです 初めてあなたがお母さんの胎内から出て 看護婦さんの腕の中に取り上げられたとき 私もあなたの柔らかな体に手を置いて、 温かいお湯であなたを一緒に拭いてあげたのです 母親の傍らにそっと包んで休ませた時 涙を流しながらあなた…

愛と性

凡そ文明が爛熟すると人間の精神性が廃れ 物質主義に偏り、風俗が惰弱になり、快楽主義に陥る 男女は媚態を恥とせず風紀の乱れは人心を荒廃させる この根本的要因が愛と性の問題にあることは異論の余地がない 文師の晩年はこの愛と性の問題を語ることが日常だったと聞く 原理本体論の骨子が絶対”性”にあることはよく知られている 原理講論では正しい愛と性が堕落によって失われてしまったと説明する キリスト教の素養の…

蕩減思考の問題点

統一運動に参加した初期の先輩諸氏の中に見られる特徴の一つに蕩減思考があります。 彼等は分別と言う言葉を使うのですが、この分別と言う表現は人類始祖の堕落によって 神とサタンが対応する矛盾状態になったのでこれを切り裂くことを分別と呼び その象徴的な物語がカインとアベルでした アダムとエバの堕落によって神とサタンに相対することとなった人間を二人の息子に譬えてアベルは神の表示体とし、カインは悪の表示体へ…

統一神韓国、統一コリア

朝鮮半島統一に関してこれまで何度も学識者や政治家を招待した会議やフォーラムが 開催された。最近主催されたGPFの会議にオンラインで参加した印象である。 各国の有識者の発表するメッセージはそれぞれのテーマ別になっているが 基本は南北統一が北東アジアの安全保障にどのような影響を及ぼすのかが 最大の関心事であるように思えた 例えば日本を含めて各国の学識者の見解の中には核の廃絶を履行しないまま 南北が統…

真の家庭神話の崩壊

「大漁 大漁だ おおばいわしの大漁だ 浜は祭りの様だけど 海の中では何万の いわしのとむらいするだろう」 金子みすゞ 浜で大漁を喜ぶ陰に海の中の魚は それと同じだけなくなっている 一方が喜んでいる時に他方では犠牲になっている オリンピックが開催されて多くの感動がもたらされました その陰に生死を争うコロナ患者に対して 昼夜もなく対応した医療従事者がいたこと 感染症の蔓延で職を失い困窮生活をせざるを…

言葉を越えたリアルな実体に触れるには

海辺に沿って原生林が生えている森の中を歩く 無数の草や花、樹木が辺りを取り巻いている 細い道を木漏れ日を浴びて歩きながら ふと前方に目をやると地中にしかと根を張り 光に向かって堂々と聳えている大木に気がつく そばに行って触れてみると樹皮には無数の傷跡が付いている 遠くから見る大木とはまるで違う別の顔がそこにはあった 雨風に耐え、夏の強烈な陽射しに、冬の凍える様な寒さに 春に若葉を芽吹くも、秋には…

どこかで道を外れた統一運動

膨大な文師の語られた言葉を読み返すと、時に違和感を覚えるような言動に直面する。 信徒は訓読会の大切さを強調されているので、頻繁に読むのだろうが、 語られた時代背景や、誰に向かって話しているのかによっては、 時代錯誤的な理解をすることになる時がある。 例えばこうである 「しかし、今までの復帰は母子協助によって行われてきましたが、今は、第4次アダム圏時代に入ったので母子協助時代ではないのです。父子協…

検証の必要性

「個性完成をした人間は神の喜怒哀楽を直ちにそれ自体のものとして 感ずるようになり、神が悲しむ犯罪行為をすることが出来なくなるので、 絶対に堕落することがない」創造原理 人間の心にある分別意識とは善と悪 真実と虚偽を判断できることを言います それは言葉自体の中に相反するような言葉がもともとあるからです 主体と対象、上下、左右、光と闇、快と苦、喜びと悲しみ、怒りと優しさ、 まさに喜怒哀楽そのものが相…

カラマーゾフの兄弟-自己主管とは

「天宙主管の前に自己主管をすること 自己を主管してこそ完成への道を進むことが出来るのです」 主管性ということを考えながらドフトエフスキーのカラマーゾフの兄弟を 再び読み返して見ると改めてこの意味が問われているように思えたのです カラマーゾフという家族を中心にしたこの作品は 人間の怒り、憎悪、虚しさ、悲しみ そして残虐さをこれでもかと言うほどに描いています カラマーゾフの三人兄弟の長男ドミトリーは…