実体みことば・コトバの本質

言葉の機能は物事を分節する事ですが
目の前に花があれば花という言葉を発したことによって
分節された花が個的存在として現れるのです


人間は言葉によって全ての存在物を分節化していきます
しかし此処に落とし穴があるのは目の前の花は
それぞれが見た花だという事です
つまり花はそれぞれの自分の主観的認識であって
それが花の本質とは限らないからです
これがカント哲学の物自体は誰にもわからないという事なのです


あらゆる宗教における絶対者たる神も
言葉で表現すると言葉が一人歩きを始めます
アラーであり、エホバであり、アマテラスとなるのです


しかし言語で表現する神は本当の神なのでしょうか?


言葉はただの音であり記号です
記号の組みあわせには命がありません
DNAの暗号は情報であって
情報はあくまでも設計図なのです


設計図に書き手の人間の意志や霊性が吹き込まれ
具体的に建設されなければ生きたものとはなりません
真理を論議する多くの人は言葉の記号を巧みに組み合わせるのですが
言葉自体が神でも愛でもないのです


言葉とは神の愛や見えない心情を表す象徴的な道具なのです
実体が愛になる事
これができないと人は愛という言葉の記号を
語る事で自分がそのようになっていると錯覚してしまいます


真実なる人は従って黙々と地の塩のような行為の中に
誰も知られない陰徳を積む人なのです
神のみが知る秘密を多く抱えた人は
言葉を選び寡黙の中にいます
側から見ると無名の人に見えても
その実在感覚が光り輝くように見えるのは
神や愛を表す行為の中に生きているからです


為に生きるとは言葉ではなく行為だからです
本物の時代とはそういう人間の時代のことです

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