解散請求の隠された真相?

今回の旧統一教会の解散請求をなぜ国が先導したのか?
それは国の安全保障が侵犯される思想が運動の中に感じられたからだと分析する人がいます。確かに「岸田を教育せよ」という指令が組織のトップから出てきたことはあまりに無神経だとしか言わざるを得ません。想像してみてください、イスラム圏で同じような言動でその国のトップにこのような指示を与えたらどのようなことが起きるのかを。


日本における家庭連合のトップは長期にわたって韓国人です。選挙権のない外国の指導者が仮に政治運動の指令を出せば、それは時と場合によっては国の安全保障にかかわることになるのです。確かに信教の自由は憲法で保障されていますが、思想的にも経済的にも韓国至上主義が目に余るようになると、今回のような事態が起こるのです。世界が国境や国の枠がなくなる時代ならば問題はないのでしょうが、自分たちの信じている教義や思想が、どれ程、偉大だと信じても、人類は未だ国家の枠を超えることができないからです。


人間が本当の意味で民族を超えた精神性を手にするのは何時のことかわかりませんが、今回の発言のように無神経で能天気なコトバが独り歩きをすると深刻な問題になるということです。


UC関係の指導者の中には、摂理の目的は神主権国家を作ることだと語る人がいます。その本質はといえば、「真の父母を中心として」「真の家庭を中心として」「真の家庭の王族圏と皇族圏が中心となって」 或いは一時期、語られた「真の子女を中心とした世界12支派を中心にして」、または原理講論にある「再臨したキリストとそれに従う信徒を中心とした人体組織に模した政治体制」などがありますが、これらの文言をその如くに捉えれば、文家を中心とした世界的な世襲制による君主的統治を理想としているようにも見えます。


しかし、こうした内容を慎重に深めることなく、 漠然とした世界人類一家族と言うスローガンだけで皇室や英国のロイヤルファミリーや、イスラム教を国教としている国家に対して教義の一面性を主張すればどのようなことになるのか、今回のような解散請求の次元で終わらない国家的な弾圧を受ける可能性もあるのです。


嘗て文夫妻は王冠をそろえて象徴的な戴冠式の儀式をしましたが、もし、これが単なる象徴的な儀式の段階ではなく、実際の世界王国を文家が王としてその位置につくことを想定していたとするなら、一体どこの国民が心からその体制を受け入れる準備が出来ていると言うのでしょうか?


日本は戦後、民主主義を導入したので主権は国民にあります。皇室は元首といっても、国民統合の象徴としての役割であって、実際に統治する政治的な力はありません。立憲君主制の英国も同じように象徴的統治者なのです。こうした既存の王室や皇室を統一運動はどのように位置付けるつもりなのでしょうか?教義には世界統一構想が述べられているからと言って長い歴史や伝統を持つ皇室や王室を簡単に扱うことは出来ないはずです。


「皆さんは神韓国、神日本を建設するのが責任であり、使命なのです。私が生きているうちにそれを成し遂げなければなりません」 


これは本当にどういう意味なのかということです?


岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三と三代に及ぶ勝共運動でのつながりも、その本質が皇室の代わりに文家を中心とした神主権国家を打ち立てることが目標だと知れば、彼等はきっと愕然としたはずです。選挙協力や反共産主義でどれほど政治的関係を持ったとしても本質的なこの運動の教義である原理講論には韓国語による言論の統一まで謳っているのですから・・・


神主権国家とは社会の統治を実際に行うことなのです。


では、もう一度、天一国のモデルを朝鮮半島に樹立することを想定してみましょう。
国家の統一や独立は其れを願う民族の精神性が基盤になります。仮に南北が統一国家になったと考えてみる時、世界中が諸手を上げて称賛する神主権国家が半島に出来るのでしょうか?UCが強調してきた選民たる南北が統一された韓民族は「為に生きる」精神性を確立して、世界に誇れる模範国家となることが本当に出来るのでしょうか?


恐らく殆どの日本人は朝鮮半島全体が核を持った反日国家として、今以上に力で脅してくるのではないかと言う恐怖の方が現実的な話でしょう。


第三イスラエルと口先だけで選民アダム国家を特権のように誇っても内実は拝金主義が横行し、日韓の一体化どころか「日本は歴史認識を正しくしなければなりません」と語るだけではキリスト教の愛の思想さえ感じられないからです。結論を言えば、日本からの莫大な献金によって支えられた韓国UCは国の統一に関する情熱と愛の霊性を自分の民族に啓蒙することに失敗したのです。


共産党宣言の有名な冒頭にある「ヨーロッパに亡霊が出る…共産主義と言う亡霊である」。これはそのまま「極東に亡霊が出る・・朝鮮統一反日国家と言う亡霊である」になりかねません。南北統一は未だ夢の途上なので、もしかしたら奇跡的に理想とする愛の王国が半島に現れることも「無きにしも非ず」と信じたいのでしょうが、奇蹟で人間の精神性が代わるというのなら神の摂理はとっくに終わっています。


文家中心の南北統一の天一国は韓民族の問題としてひとまず彼等に任せ、原理を誰のものでもない普遍的な真理として客観的に捉えた上で、その真理を基に以下のような提言は如何なものでしょうか?


それは真の父母思想に集約される愛の共同体のことです。共生共栄共義主義の全容は曖昧なので真の父母主義による共同体とでも言うしかありませんが、この考えを既存の国の宗教や国の在りかたに応用させるほうがより現実的なことだと思うからです。


例えば日本なら国民統合の象徴である天皇を父母として敬い、日本の文化や伝統を否定することなく、国民の中に家庭を重視した父母思想の精神性を根付かせて行けば、それがそのまま神日本になるのではないのでしょうか?


天皇家は民族における父母の立場であり、皇室が果たしてきた役割は国民を赤子のように抱き、国の安寧と平和を祈念する国家的な親の役割でした。真の父母国家に最も近い日本や英国はその体制を維持しつつ、統一運動は其れを支え、皇室を日本の国家的父母の立場として認め、理想家庭の運動を全国的に展開すれば、きっと多くの賛同者を得て日本における統一運動に新たな光が射すように思うのです。国を超えた世界人類一大家族理想は其の基盤ができてからのことです。
信教の自由を否定されたと裁判に訴える前に、原理講論の目指す統一世界とは何か。あるいは天一国憲法とは何かを熟読するべきでしょう。

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