コロナウイルスに寄せて

半年ぶりに書きます


長らくペンを置いていたのはもう一度
この統一運動と人間の本質について見つめなおす機会としたかったからです


世界中でコロナウイルスが蔓延し大変なことになっています
ある人からこのようなメールをいただきましたので紹介します


「愛の本質は自分より他者の為に生きることだと思っています。世界的ウイルスとの闘いは私たちに何かを教えようとしているように感じてなりません。
見えないウイルスとの闘いはまさに見えない霊的な戦いと似ています。


世界中で外出禁止令が出て、人と人の接触が禁止され始めています。
このことは私たちに大切なことに目覚めよとの警鐘ではないのでしょうか?


それは自分中心的な生き方から他者への本当の思いやりを実行する時だと・・


家族が困っていれば私たちは無条件で助け合います。
今まで私たちが何度も語ってきた神の下での世界一家族
本当に実行できるのかどうかが試されているのかも知れません。


ジョン・レノンのイマジンという曲に『いつかあなたも本当の仲間になれば、きっと世界は一つになれる』というような歌詞がありました。


上手く書けませんが、家庭連合はこのままでは神様が離れて行きます。
何故なら、神様は自分の救いより他者の為に生きる人の中におられるからです


今の時代は神を他者の中に発見して共に生きる時代です。
愛を持って尽くすことを実践すれば宗教も組織も必要ないのかもしれません、
その愛の尊さに目覚めた者たちがそれを実践する機会がこのコロナウイルスがもたらしてくれているのかもしれません。それは私たちの身近なところにもっと目を向けると言うことだと思っています」


Mさんのメールでした



世界は今、コロナウイルスで疲弊しています
いつ終息するかもわからない不確かで見えない敵との闘いに
まさに国を挙げて武器のない戦争をしているかのようです


戦後75年
平和で比較的安定していた日本も中国発の意外な敵の出現によって
あっという間に世界中に蔓延し今や経済破綻や国家的危機にまでなろうとしています


失業者が続出し、アメリカでは大恐慌以来の失業率になるかもしれないと
囁かれ始めています。
投資家は株式市場の乱高下によって既に巨額な損失を被り、
日本の老後年金も既に数兆円消えたとも言われています


世界的なパンデミックスは首都圏にも静かに近づいていて
早晩、世界の主要都市と同じように外出自粛の緊急非常事態宣言が
発せられのも時間の問題なのかも知れません


疫病の歴史は常に人類の生存をかけた深刻な闘いでした
古くはペストや天然痘、スペイン風邪では何千万人も命を失っています
医療も未熟だった遠い昔は別として現在では当時と比較ができない程
医療技術も充実しているにも拘らず世界中がパニック状態です


韓国の釜山の丘の中腹に建てた小さな掘っ立て小屋から始まったこの統一運動は
世界を一家族にすると言う高邁な理想を抱いて出発しました


そして今では思い描くことさえ出来なかった豪華絢爛たる建物が清平に建てられ
そこを中心とした天一国が始まったと宣言しています
その本質は愛を中心とした世界一大家族理想だと言うことです


ではこの世の国や企業組織と天一国と何が違うのでしょうか?


今回のコロナウイルスに対処するために一時的に弱小企業は人員削減が始まりましたが
それでも心ある企業はこの難局を共に乗り越えようと
まるで社員を家族のように扱い今まで留保してきた資産を使って
特別な臨時ボーナスを出している会社もあると聞きます。


また各国も同様で失業した人々の為に財政出動をし
国民の命を守ろうと休む暇もなく指導者は陣頭指揮を執っています
世界中が力を合わせてこの苦境を乗り越えようと頑張っているのです


では天一国は何をその民である信徒にしているのでしょうか?


天一国と言う仮想国家に財物はあっても
一度として民の為には使用したことがありません
今こそ自分たちが受けてきた献金の財貨を持って
苦しむ信徒の為に行動する時ではないのでしょうか?


イエスは「人の子が来たのは、仕えられるためではなく、仕える為であり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与える為である」と言いました。
文師の教えも「愛は与えて、与えたことも忘れなさい」と言うことではなかったのでしょうか?


この運動は与えられることによって生きる上層部と
与えることによって自分の先祖や家族が救われるという
イエスや文師が教えた愛とは何の関係もない
自己中心的な運動に変質してしまったかのようです


人間の崇高さや気高さは苦難に接した時の生き方に現れるといいます


イエスは十字架を背負い、倒れそうな体を引きずりながら、身に降りかかった過酷で残忍な状況を恨みながらゴルゴダの道を登って行ったのではありません


悲惨な立場に立たされたイエスが、もしその時、弟子たちを非難するような言動を発したならキリスト教のその後の発展はなかったことでしょう。


自身の受けた惨めな姿や環境に落胆するのではなく、それを許し
奪うことではなくひたすら与え続けるという愛の原則を
イエスは最後まで貫き通したのです


残念ながらこの難局に対して
天一国はただ静観しているだけです


Mさんのメールにあるように
「今の時代は神を他者の中に発見して共に生きる時代です。
愛を持って尽くすことを実践すれば宗教も組織も必要ないのかもしれません
愛の尊さに目覚めた者たちがそれを実践する機会が
このコロナウイルスがもたらしてくれているのかもしれません」


それは財物やお金を寄進して天寶苑に名前を刻むことではなく
私たちの身近なところで苦しむ人たちの心の中に刻むことが
本当の愛だということなのでしょう

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