統一運動に欠けていること その3

二十世紀初頭は第一次世界大戦や大恐慌が社会を荒廃させ
精神のみならず物質的にも多くの人々が貧困の中で苦しみました
激動する時代に新たな社会構想を提唱した人物に
ルドルフ・シュタイナーと言う人がいました


シュタイナーは荒れ果てた西洋社会の人々に希望となる
新しい共同体ビジョンを提起する為に何よりも教育に力を入れ
多くの学校を建設しました。そこでの教育は霊性の成長に重きを置きながら
如何に社会に貢献できる人間になれるかと言う教育をし
現在でも優れた卒業生を世に送り出しています


彼の理想共同体理念は「社会有機体三分節化構想」というものでした
彼は「精神における自由」「経済における友愛」「法・政治における平等」
を理想共同体の理念に置いたのです


シュタイナー思想は余りにも多岐にわたるので
包括的に理解することは困難なのですが
この共同体ビジョンに関して言えば統一原理と同じように
人体の生理学を応用しているのです


日本におけるシュタイナー研究の第一人者である高橋巌氏は
このシュタイナーの社会共同体構想の翻訳本
「社会問題の核心」のあとがきでこのように述べています


なぜシュタイナーが社会と言う言葉を使わないで、社会有機体と言っているのか、つまりシュタイナーにとって、社会は決して抽象概念でも機械的なシステムでもなく現実に存在する生きものなのです。・・・もし私たちが社会を自分のもう一つの第二の体だと思えないとしたら、それは私たちの生活しているこの社会がもはや社会ではなく寧ろ反社会的な在り方をしているからです。」


統一運動に於ける世界一大家族理想とは
まさに社会を有機体として自分の第二の体として家族のような感覚を
共有する共同体のことではなかったのでしょうか?


現行の統一運動は頭脳の命令が神から来ると言いつつ
その神の位置を真の父母に置くことによって中枢神経系統だけの
組織論理になってしまってはいまいか?
頭脳の位置にある神に代わってそこに人間を位置させると
何が起こるかと言えば当然、人間の神格化が始まるのです
存命中に自分の石像を立て、その石像に向かって
膝をかがめて祈る人間の姿こそ神格化の最たるものだからです


人体の指令系統は中枢神経だけではなく自律神経(末梢神経)との絶妙な調和によって
一つの有機体として作用していますが、これを経済に応用すれば
統制経済と自由な市場経済のバランスをどのように
調整するかと言うことになるのでしょう


中国の国家資本主義は市場原理(自律神経)を容認すると言いつつ
意図する真意は共産党と言う国家の介入(中枢神経)が意思決定の全権を握っているのです
もっと言えば彼らはカラマーゾフ的な大審問官のような立場に立って
神なき理想世界建設の壮大なる実験をしていると捉えることも出来ます


同じように統一運動が中枢神経の命令だけに留まるならば
独裁的な全体主義国家建設が行きつく果てになるのかも知れません


資本主義がもたらした弊害は市場原理を強調するあまり
自律神経をコントロールできなくなった強欲なグローバリストたちを
生んでしまったことです
その狭間を突くように国家の統制と市場原理のバランスを取りながら
神なき世界を構築しようとしているのが他ならぬ中国だからです


その為にも具体的な共生と共栄を実現する具体的な政策の提言も
これからはもっと必要となるのではないのでしょうか?
例えば生命を維持する最低限度の保障(ベイシック・インカム)や
福祉を真剣に研究することです


何故ならばこうした基本的な生活を保障することこそが
中枢神経としての国家の役割だからです
同時にシュタイナーの言うように社会を第二の体として見るならば
地の塩となる実践行動も必要とされます


その為には自律神経である主体意識を成長させ
各自の特性や才能に応じて社会貢献のできる現実的な運動をするべきなのです


共生共栄共義主義の鍵となるスローガン「為に生きる」と言う言葉は
内部に向けてのスローガンで終わるのか、或いは社会に向かって
展開していくのかによって雲泥の差がでてきます


社会を第二の体として、そこに価値を置く社会運動の良き事例は
アフガンに命を捧げた医者中村哲さん
今もカンボジアで地雷撤去に生涯を捧げている高山良二さん
会社の会長職にありながら清掃行為に凡事徹底する鍵山秀三郎さん
こうした社会の一隅を照らす彼らの行動は
始めた当初、誰も見向きもしなかったことです


鍵山さんはこう言います
「私はたいそれたことをしようと思ったわけではありません
ただ社会の一隅を照らそうと凡事に徹底したことが大きな力となったのだと思います」

地道な行動が静かに広がり、やがて多くの人々の共感を呼ぶのは
世の光、地の塩になる活動を継続しているからです
もし統一運動が創立当初からこうした運動を世界各地で展開し
継続していたならばこの運動は世界的になっていたことでしょう


自分たちの氏族の解放や自分の子供の祝福ばかりを考え
それが本当に世界を解放することに繋がっているのでしょうか?


世の権力者や有名人を招待して晩餐会を開き
華美な王宮や石像を造って誇示することで世界中の人々が感動しているでしょうか?
どれほど深遠な思想であったとしても思想は実行を伴って
現実化しない限りそれらは只の言葉に過ぎません


中国の国家資本主義の仮面を剥ぎ彼らを凌駕するためには
神の本当の姿を見せる以外に方法はありません
それは世界一大家族理想を外に向かって語ることではなく
神が全てを投入して被造世界を創造したように
社会を第二の体として外に向けて自らを捧げていくことではないのでしょうか?


例えそれが一隅を照らす行為であったとしても
それぞれが与えられた場所で今従事していることに
真心を込めて実践していけばそれが大きな渦となるのです


人間の意識が利己的な競争や闘争から共生・共栄へシフトして行くためには
地道な運動を実践しながら霊性を高めていく以外に方法はないと言うことです

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