肉体の原理

かく言う私も
肉体を通して感じる生命意志を強烈に感じたことがあります


続く


テレビ局の海外撮影の仕事に携わる機会がありました
十人ほどの撮影隊と一緒に現地の案内人を先頭に
密林を四駆で二週間ほど道なき道を走行した時のことです


昼間は焼けつくような陽射しの中、汗と埃にまみれ
夜は満天の星の下でのキャンプが行程でした


早朝に小さなボートを出して河を下るのですが
案内人はボートの先頭に立ってライフルを片手に
眼光鋭く辺りに注意を向けなければなりません


河を下る小さなボートと並ぶように突然
中州にできた土手から巨大なワニが何頭も
音もなく静かに水の中に入って行くのです


まさに映画のワンシーンのような緊張した空気が辺りを包み
無数の野鳥の鳴き声は鬱蒼とした密林に分け入った
人間をあざ笑うかのようでした


私は両の拳を固めながら意識を極度に集中していると
どこからとなく長らく体内の奥深くに眠っていたであろう
自然の持つ本源的なものが体の中から湧きあがって来る感覚に
不思議な充実感を得たことを今でもはっきりと憶えています


それが私にとっての最初の生命意志との邂逅でした


人間は自然の中に潜む生命への燃え滾るような意志を
日常生活の中ではなかなか感じ取ることが出来ません
死と向かい合う戦場での緊迫した状況の中や
極限まで肉体を追いつめる行為の中においては可能なのでしょうが
戦後の生温い平和な環境の中ではその生命意志に触れることは
殆ど不可能に近いことなのです


文師が出会った神は信仰による抽象的な神ではなく
死の境遇を何度も潜りながら自分の肉の感覚に直接触れた
リアルな神であったことは間違いありません


神は肉体感覚を通して現れる時に
初めてリアルな生きた神を感じることが出来るというのが
神を着ると言うことだと私は勝手に解釈しています


文師の息子の顕進さんや享進さんが大自然の中での訓練を奨励していますが
厳しい自然との邂逅体験は不思議な生命感覚を触発してくれるからでしょう


文師の膨大な説教集の中に表現されているリアルな神との出会いは
迫害の中で出会った生きた体験上の神だったのです


その文師が晩年
本然の人間に現れる神は男女の愛の中で現れる
と言うことを聞かされた時はまさに目から鱗でした


文師は本然の神は男女の愛の中に現れるというのです
その最後の遺言のようなみ言が「宇宙の根本」の中に詳細に記されています


人間は孤独で訳もなく偶然に生まれたのではなく
刻々と創造と成長を導く生きた神が
人間を通して実体として現れる場だったというのです


霊的に神の声を聴くことも
祈りを通して神が語り掛けることも否定はしませんが
生命の躍動する神がこんなにも近くにいたということを教えているのです


割腹した瞬間に三島は神を見たのでしょうか?
痛みの彼方に生命意志の根源である神を感じたのでしょうか?


文師は男女の愛の中にその秘密を発見し
神が直接、人間の肉体感覚を通して現れるという
簡単な事実を発表したのです
しかもここに実体的血統転換の秘密があるというのが
祝福の本質でもあるのです


宇宙の根本がこんなにも身近なことであったこと
また愛の原理が生命意志の背後にあったこと
この単純な真理にもし三島が気が付いていたならば
彼の文学は新たな光を得て世界を照らしていたのかもしれません


肉体は神を感じ
神を表す傑作品だったのです
それは生命意志の背後にいる
生きた神の息吹である愛に触れることだったのです

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