振り返れば全ては愛でした

宇宙は単に形ある物質だけで出来ているのではないことは
ノーベル賞を取った物理学者に聞くまでもないことです
分子生物学では生命を全て物質の働きに還元するのは
無理だと明確に結論付けています


見えない宇宙の根源に霊的な人格を持った存在の主がいることを
朧げに感じていたのでしょうか
求道者はその根源との一体化を得るために苦しい修行を重ね
祈りや瞑想の行をしてきました


では聖者や高僧と呼ばれる少数の覚醒者が到達した
精神レベルとは如何なる境地なのでしょうか?


残念ながら殆どの人間は根源者との実存体験をしたというより
根源者がいるだろうという信仰のレベルで終わってしまうのです
では何故、根源者と完全なる同一化を果たすことが出来ないのでしょうか?


洗礼を受けたら・・・
パンとぶどう酒を飲んだら・・・
聖地巡礼をしたら・・・


先祖解怨をしたら・・・
聖酒を飲んだら・・・


こうした儀式や儀礼によって
象徴的に許されたという精神状態を得ることは大切なことなのでしょうが
根源者と自分が一体であるという実存体験を得る境地にはなかなか至りません


堕落によって生命が無くなったのではありません
顔かたちが変化して退化したのでもありません
失ったものは根源者との関係なのです
神が私と共に生きている実感が
明確に感じられなくなってしまったことが
堕落の結果を何よりも実証しています


下記に私のささやかな日々の行を記しておきます


血統とは心情のことだと思っています
その心情である心の機能に知情意があります
堕落によって天使長の血統になったと言うことは
知情意が天使長と相対するようになったといい
原理ではそれを自己中心的な堕落性本性と呼んでいます


では知情意を転換させることはできるのでしょうか?


知はコトバと連動して湧きあがる思考のことです
天使長の思考方法を堕落論に沿って言えば
神の立場に立てなくなり何事も自己中心的な動機から始まることだと説明しています


嫉妬心、怒り、愛の減少感・・・
これらの思いに相対する時
天使長はその思いに自己同一化してしまったので原理軌道を外れたと言うのです


私たちも同様に無数の思いが湧いてきますが
自己を中心に対象を見ている時が殆どです


では浮かび上がる思いをもう一つの眼差しで見ることができるでしょうか?
これを霊学では思考の思考と呼びます


あたかも外界の花や鳥を見つめるように
自分の思いに注意を向けて凝視するのです
その凝視する眼差しを日々続けて行くと
或る時突然開かれた無限定の空の中に取り込まれる
不思議な体験をするようになります


それはコトバを超えた
あってあるものの無分節の全体と融和する一なる体験なのです
私はその見つめる眼差しが良心作用だと理解しています


次に情感の中にも天使長の血統が流れているのですから
この情を浄化しなければなりません
この情の転換は知的なものの見つめ方より難しくなります
なぜなら情は理性をも超えるからです


その情を正すために文師が教えた方法が
僕の僕から這い上がっていく実体験なのでしょう


苦しい人と共に
悲しい人と共に
虐げられた人と共に
彼等の情の中に入って行くのです


そして彼等の情感を共有し受け入れてあげる時
その心情に感じる体験が悲しみと涙の神なのです


その心情にあなたが触れた時
閉じ込められていた神が解放されるのです
別の言葉でいえばあなたの心の悲しみも
同じように解放されるのです


情は神と繋がる実体的感性の最も重要な要素なので
この心情が神と共鳴すると本然の種が心の中に成長し始めるのでしょう
情の中でも最も苦しい情は「恩讐を愛する」ということです
何故ならこの情の分岐点に天使長がいるからです


許し難い者
愛しがたい者に愛を注ぐ時
まさに暗闇に光が射すように
懐かしい親の情感が必ずあなたを包み
その開かれた情感こそが真の愛の根拠なのだと思っています
だから下座に生きることが大切になるのです


最後に意志ですが
意志は天使長の弱さの象徴でした
情は原理よりも強いので愛を乗り越えることが出来なかったというのです
「天宙主管の前に自己主管」
これが信仰者の日々の教訓なのでしょうが
堕落した環境圏の中では簡単なことではありません


だからこそ家庭環境が大切なのでしょう
神を中心とした家庭とは知情意の主体を相対関係の中に発見するということです
家庭内で互いに敬い、愛し合うことを通して為に生きる実践を学んでいくこと
主体は対象の為に
対象は主体の為に
理論ではなく実生活でこれをなすことが家庭の役割だと思っています


後天時代とは霊界が解放された時代のことをいうのだと思っています
それは見えない神の心情が一人ひとりに現れるということです
宗教も教祖も救世主もその時がありその使命がありました
振り返れば全ては神の愛で始まり神の愛で終わるのです


愛によって生まれ
愛を求めて生き
人間は神の愛から逃れることが出来ないように創造されていたのです

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