祝福家庭は「真の父母になる」連合体

ブログにこのような記事が出ていました


「私が韓国に来た目的は夫のことを好きになったからでもなく、
素直で単純な私は日本の犯したと言われる罪を償い、
日韓が父母国家となって世界を神様につなげ、地上天国を
建設する為でした・・・・未だにそうやって尽くしているはずなのに、
こんなに最悪になった日韓関係を見ると、恩讐を愛しても
自然屈服なんかできない、一時的にはそう見えても心の根の部分で
持っている恨の根は抜けないのかも知れません

              Dedeさんのブログから引用させていただきました


人生において最も祝福されるべき結婚を
日本の罪の蕩減だとして「恩讐を愛せよ」という
み言を胸に秘めながら韓国に嫁いで行ったのでしょうが
口で言うほど恩讐を愛することは簡単ではなく
その難しさを今の日韓関係に合わせて書かれていました


国際結婚は通常、恋愛の上で結婚した夫婦であっても
文化や習慣、言葉の相違等、意思疎通を含めて簡単ではありません


ましてや何の情的関係もなく
「恩讐を愛せよ」という信仰だけで海を越えた
彼女たちの勇気と信仰心は確かに称賛に値します


しかしどれ程信仰を持ったとしても
現実の生活に入るとどうしても受け入れ難い性格の不一致や
習慣、考え方の相違に直面します
それでも子供が生まれ、その子供に情がいくようになると
そこに自分の居場所を見つけ、少しずつ夫婦という世界の中で
互いの良い処や一致点を探して理解し合えるように努力するのです


しかし中には「こんなはずではなかった」と耐えられなくなってしまい
離婚して傷心の思いで帰国した人もいると聞きます


心に傷を受けて帰国した彼女たちに対して
失敗者の烙印を押すことが出来るのでしょうか?


同じようなことは既成祝福の家庭の中にもあります
夫が反対しているにも拘わらず
ひとりで健気に信仰を続け何とか聖酒までは飲んでもらったとしても
原理的な意味での理想家庭にはまだまだ険しい階段を上がらなければならない
家庭もあるはずです


大切なことは祝福を受けて本当に幸せになったかどうかなのです


結婚は互いに愛することが基本です
ところが教会生活で人に尽くし
人を愛する尊さを学びながら
その最高の実りである結婚は愛から始まるのではなく
好きという感情さえ持てなかった蕩減マッチングでした


信仰の力で乗り切った家庭
残念ながら最後まで愛情が湧かずに壊れてしまった家庭
勝者と敗者
これが祝福の実態です


ヤコブが天使と戦ってイスラエルと言う称号を貰ったように
祝福とは勝者に対する神からの特別な恩恵なのでしょうが
その祝福が愛の完成とするならばもともと愛の薄い出発は
初めから失敗の可能性があったことも否定できないのです


文先生も完全なる相対を求めて何度も結婚をしたことや
真の家庭の子女様たちも不倫や離婚をしているわけですから
その難しさはあって然るべきなのです


愛情のない結婚ほど悲しいものはありません
祝福家庭の子女の間で様々な問題が起きているのは
極端な血統主義と人間の自由が限定された結婚だからです


子供が思春期になると異性に関心がいくのは神がそうさせるのです
親はその子供の心を正しく指導しながら
愛の尊さを教えその愛が深くなった時に
自分の子供に祝福を与えてやれない父母なら
何のための父母思想なのでしょう


血統の本質は使命感のみの愛なき子孫を増やすことではなく
神の愛を実現する家庭を築くことではなかったのでしょうか?


コトバでは愛の尊さを教えていながら
実際の祝福が愛ではなく血統の継続に重点を置いている限り
祝福は普遍化することなく狭小的な血統主義で終わってしまうでしょう
蕩減時代の祝福は終わったのです


「地上では祝福を受けた家庭が、真の父母と縦的な関係における
第四次アダムの資格を持ちます。・・・第四次アダム圏時代にふさわしい
家庭を築くようになれば、それ以上先生は必要ありません
・・・皆さんが第四次アダムとして真の父母のように、イエス様のように、天を愛し
家庭を愛さなければならないのです。
そのような思想が皆さんの頭に事実としてぎっしりと詰め込まれなければならないのです
・・・皆さんが祝福を受けたと言うことは、第四次アダムの心情圏を成すようになったと言うことです」   第四次アダム圏時代


この「アダムの心情圏を成す」ということが何かと言えば
サタンの讒訴のない心の状態のことを言うのでしょう


ではもう一度振り返ってみると
天使長が堕落したという動機は何だったのかということです


文師は愛の減少感による自己中心性が動機だと言いました
コトバを変えれば天使長は愛されなかった恨みを持ったのです


嫉妬や妬みは愛の欠如から始まります
従って神がとった戦法は敵を愛し怨讐を愛するということでした
それは愛されなかった者が心から愛されたと実感したときに恨みが解けるからです


恩讐を愛する心情の蕩減条件を立たせた者が
アダムの心情圏に入れないとすれば誰が入れるというのでしょう?
一旦その心情圏に入ったものは父母の立場に立っているのです


自分の名前で神に祈っておきながら
また父母の心情を復帰することを信仰の目標とし
祝福を受けて罪をゆるされた父母の位置を与えられたにも拘わらず
自分の子供の将来に対して祝福を与えられないとすれば
真の父母思想とは永遠に誰かに従うだけのものになってしまいます


それはまた信仰の目標である本然の父母に永遠になれない
と言うことになってしまいます


氏族のメシアと言う意味は何を表すのでしょうか?
それは真の愛の相続者たる「真の父母になれ」と言うことではないのでしょうか?


「今回の3億6000万双の祝福が終われば、レバレント・ムーンは祝福してあげません
その次からは、自分の父と母に祝福してもらいなさい。これを第四次アダム圏解放時代と
言います。蕩減がありません。一次、二次において、旧約時代はアダムが失敗、新約時代もアダムが失敗、成約時代も迫害を受けながら来ましたが、今からは解放圏に入って行き、
堕落していない本然の世界となり、第四次アダム圏時代に入って行くので、
堕落していない父母が息子、娘を祝福してあげるのです・・・・ですから
父母が祝福してあげるのです。その父母が、真の父母に代わりの立場に立つのです。」
1998.2.8祝福家庭の摂理的意義 第四次アダム圏時代


第一次アダム、第二次アダム、第三次アダムの代身家庭になることによって
神様に侍るようになり、万民が天国に直行できるようになるのです。そのようになることによって第四次アダム圏解放の祝福時代に入るのです。
第四アダムの時代が確定されれば、祝福二世たちは親が直接祝福してあげる時代が開かれるのです」  第四次アダム圏は自然復帰時代


統一運動の最終目的は新たな教団を造ることではなく
それぞれが「真の父母になる」ための祝福家庭の連合体なのです

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