生命の木とは 

天の父母様教団と家庭平和協会(FPA)或いはサンクチャリー教会の論争の問題点は
救済に対する重要なことを論争しているのです


天の父母様教団では生命の木とは真の父母のことを指しているので
真の父母に繋がれば全ての人間は生命の木になるのだといいます
例え真の父が他界しても一体となった真の母がいるので
基元節は成就したという立場です


FPAとサンクチャリーは生命の木に繋がるとは
根が祖母であり幹が父母であり芽が子女となるので
三代圏が完成したことを生命の木だといいます


従って今まで祝福を受けた祝福家庭も三大圏の完成した生命の木による
最後の祝福を受けなければ最終的な完成にはいたらないというのが
基元節の意味だと捉えているのです


FPAにおいては基元節はまだ来ていないといい
サンクチャリーは新たに真の母を置いて三大圏は成就したと言うのです


では生命の木に繋がるとはどういうことを言うのでしょうか?
原理講論では生命の木とは完成したアダムであり
エバは善悪知るの木だと記載しています


併し神の創造理想及び復帰の目的から見れば
人間は神の愛の実体対象になることです


その愛を実現するためには祖父母と父母と子供(孫)と三代を通して
体験する家庭環境が実体で必要となるというのが教えです
これが四大心情圏と三大王権のことであることは明白です


2600年に渡る日本の天皇制も男系に依る長子が代を相続します
その意味では故孝進様の孫を直接教育しているという
韓鶴子女史の意図が分からない訳でもありませんが
問題は冒頭の論議に帰ってくるのです


即ち完成した生命の木とは何を言うのかということです
天の父母様教団は意地でも韓鶴子女史を守りたいわけですから
将来的には孫が中心的な位置につくことでしょう
だから二代目である他の自分の息子たちは皆失敗したというのです


しかし失敗した家庭からどうして神の本然の血統が相続されるのでしょうか?
「真の母に従わない息子たちは堕落したアダムの立場になった」
と言う韓鶴子女史の発言は自分自身が三大圏を完成できなかったと
自白したと同じです


アダムとエバが完成して生まれた子供が堕落したなどと言えば
父母による原罪のない血統圏が全て崩れてしまいます
だから最終的な血統の確立は基元節だったのです


三大圏が確立しない限り神の完全なる定着は実体的にはあり得ないと言うことです


それがFPA では顕進様家庭の勝利によって
始めて地上に三大圏が実現したという言葉になり
サンクチャリーにおいては享進様家庭が成就したので
独自に基元節を行ったと言うことなのでしょう


我々が知るべきことはその両家庭が本当に勝利されたかどうかを
実体でみて確認することだったのです


古い信仰の先輩である神山さん、桜井さんそして江利川さんたちが
他の先輩方と違うのは実際に自分で直接確認したと言うことです
祝福運動の最も重要なことは愛の完成であり
その愛の完成は三代を通した家庭に現れると言うことに尽きるのです


真の父母から祝福を受けても三代の基準を完成しなければ
その家庭に神の愛が完全な形で成就したことにはならないというのが原理だからです


では完成した真の父母の家庭に何故サタンの讒訴があったのでしょうか?
私は三大圏を勝利できなかった問題は真の家庭の長子である孝進様にあったとみています
メシア家庭にも三大圏と言う生命の木を完成する責任分担は残っていたからです
イエスが個人におけるメシアとしての資格を勝利したとしても
家庭の基準では実体の父母の位置に立つことが出来ませんでした
同じように真の父母は夫婦における資格者なのでしょうが
家庭における生命の木の完成者ではありません
だからこそ第四次アダムとは四大心情の完成実体であり
三代にわたる理想家庭の見本となるのです


生命の木の種(心情)は神から始まりそれが根(祖父母)となり
幹(父母)そして芽(孫)において本当の生命の木が完成するのです


真の父母に従順になることが神の願いではなく
神の心情を相続した息子と娘が父母となり
やがてその父母から生まれた子女が
父母となり孫を持つとき本当の生命の木が完成するのです


孝とは真の父母に従うことではなく
父母の願いである真の家庭を実体で示すことが本当の孝情なのです

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