良寛

「裏を見せ、表も見せて、散るもみじ」


死期を間近にした時の良寛の歌です
戒律の厳しい仏門から離れて静かな村里で村人と時に酒を酌み交わし
子供たちと戯れながら生涯を終えた良寛は誰とでも分け隔てることなく
身分や貧富に関係なく老若男女、相手の事情の中に心を寄せて
常に温かい気持ちで接したようです


この歌は高齢となった良寛のもとに駆け付けてくれた弟子の貞心尼に
死をまじかにして呟くように語ったものだと言われています


自分の悪いところも良いところも曝け出し
其れでも全てを介護しながら受け入れてくれた貞心尼に対する
深い感謝の念が込められています


弱音を見せないことが強さを顕すのではなく
正直な心を吐露する良寛のあるがままの姿から
人間の本質的な温かさが伝わってきます


人が正義、真理を語る時
往々にして肩ひじを張ったような態度を取るのは
自分の主観が絶対だと言う信念から来ます
しかし人間のコトバで表現する真理や正義は相対的な二元論になるので
その根拠として絶対神を置くのです


宗教が一つになれない原因の一つに絶対的価値の所在に対して
人間の認識は言葉による相対的解釈しかできないので微妙にずれが生じるからです


絶対善、絶対愛、絶対信仰、絶対服従
絶対という言葉を使えば相対世界の認識を超えられるかと言えば
逆に其の言葉によって心が硬直化し呪縛されてしまうのです


良寛の自由奔放な生き方が教えるものは
人間は強さだけではなく弱さをも受け入れることが出来た時
自由で大らかな心が開けてくると言うことではないのでしょうか?


正義を翳した勝利者だけを賛美する文化には
強者の驕りはあっても弱者への配慮が欠けることがあります
人の悲しみや苦しみを弱者の現れとして見ている限り
人間はいつまでたっても強い者と弱い者、善と悪の二元論の世界から
逃れることは出来ないことでしょう


嫉妬や、怒りが堕落の結果で生じたのではなく
それらは創造本性の影の部分であって
人間は無菌室のような状態から生まれたのではありません


物質は動きのない固定されたものではなく
常に揺らいでいるという素粒子物理学の発見は
一つの硬直化した側面だけでこの宇宙が動いているのではなく
「揺らぎ」と言う柔軟な動的可能性が
宇宙の根源にあることを教えてくれます


揺らぎとは別の表現でいえば振動のことでもあり
振動は事物を繋ぐ共鳴感覚のことです


私は共鳴感覚とは物質の背後で息づくようにして
全ての存在を包んでいる愛の本質を示すのだと思っています


愛が対象を必要とするのは現象世界が創造される前に
愛そのものが永遠の振動状態にあるからなのかも知れません
それを二元論的に言えば主体と対象となり
原理でいうところの二性性相という表現になったのでしょう


振動とは硬直化していない自由を彷彿とさせます
その自由を支えるものが愛ならば
全ては愛のフィールドの中の現象的存在としての出来事だとも言えます


良寛のような眼差しを持ち自然体で自由な
あるがままの平常心に多くの人が共感するのは
そこに愛を感じるからなのでしょう

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