統一王国と北朝鮮 その2

北朝鮮が非原理型として先行した「国のかたち」とは
具体的には金一族を中心としたピラミッド型社会のことを指します


非原理型の試みはソビエト連邦の崩壊に端を発して
中国共産党の経済市場主義の導入から北朝鮮の金一族世襲による独裁体制の継続まで
共産主義の目指した搾取のない社会建設は全て失敗に終わっています


こうしたピラミッド型社会では常に権力の集中化が行われ
頂点に立つ者たちの飽くなき欲望が腐敗と賄賂の温床となってきました


もしピラミッド型社会に唯一可能性があるとすれば
上のものが一番下になるという
逆ピラミッドの奉仕型組織になれるかどうかなのでしょうが
残念ながら一度も成功した国はありません


指導する者と指導される者との間に生じる階級格差は
上層部(特権階級)と下層部は一大家族ではなく
権力による主従関係になってしまうからです


日本統一教会を開拓された西川先生は自分の栄誉や財に厳しかったと言われています
それは世界中で苦しむ人間がいる限り自分も質素で慎ましくありたいという心情が
骨の髄にまで染みついていたからでしょう
こうした精神が統一運動の根幹に流れていたことを心に留め
その精神を継続しているかどうかが大切なことなのです


共産主義運動も北朝鮮の主体思想も
為に生きるという精神は同じなのですが
それが一部の特権的な人間の指令の下に動き始めると
既得権や権力争いが跋扈し殆どが権力の魔力の落とし穴に陥落してしまうのです


また主従関係に拍車がかかると今度はその人間に対する神格化が始まっていきます


北朝鮮の金一族に対する崇拝と讃美の姿が
統一運動の大会や祝賀会でのパフォーマンスに重なるたびに
暗澹たる気持ちになるのは双方ともに一大家族主義といいながら
トップを誰も近寄ることのできない専制君主のような立場に立たせてしまうからです
これらは伝統と序列を重んじる儒教の影響からきているのでしょうか?


原理講論を書いたと言われる劉協会長は医学生でした
彼は自分が学んだ医学の知識を土台に理想社会の元型を
人間の人体に例えて執筆したのでしょうが
その医学的知識も最新の人体生理学では古い情報となってしまいました


確かにこれまでの医学界は
「脳が司令塔となり、各臓器に様々な命令を出して、体内をコントロールする」
という考えが定説でした


ところが人体内の情報伝達には
「臓器同士は常に会話するように情報交換しながら支え合って働いている」
という細胞自体に独自のネットワークがあるというのです


人体は脳髄からの指令を待って機能するだけではなく
細胞の中にはそれぞれ意志のようなものがあることが最新の研究で分かってきました


その指令の本体をメッセージ物質と呼んでいます


脳髄が形成される前に個々の細胞はそれぞれに「メッセージ物質」を
放出すると、それらは血管や神経を通って、他の臓器に到達し、
メッセージをそれらに直接に伝達して臓器はこの会話によって
人体が自律的に制御されているというのです


受精卵から始まった個々の細胞自体の中に方向性と自律性が内包されていて
人体の構成は脳髄を中心として動くピラミッド型ではなく
それぞれが持つ細胞の主体的な活動によって共生しているというのです


北朝鮮の主体思想は単なるマルクス・レーニン主義ではありません
まさに脳の指令を受けて動く有機生命体説なのです
しかもその指令は金一族を頂点とする絶対君主制なのです


統一思想も原理講論によれば真の父母を頂点とする人体構造のような
統一王国を目指しているのですから絶対君主制に限りなく近いはずです


では氏族メシア運動が発展した社会は
果たして脳の指令(王)を受けて機能する絶対王国のことなのでしょうか?


それとも共に義の意識に目覚めた細胞のような個々が
それぞれの自律性をもち役割を自覚しながら
自由なネットワークを展開する共生共栄の社会なのでしょうか?


この「国のかたち」が明確にならずして
どれ程、国家復帰を叫んでもそれは目標のない戯言になってしまいます


例えば韓鶴子総裁を絶対君主の位置につけた時
現状の各国の王制はどのような位置になるのでしょうか?


嘗て文師は幹部を各国の元首に見立て
文師を王とする象徴的な敬礼式をさせたことがあります
統一王国の原理観からは理解できたとしても
これが人類が求めている普遍的な「国のかたち」なのでしょうか?


朝鮮半島に統一王国を建設することは現状では不可能と断言せざるを得ません
文大統領も金正恩も真の父母の前に敬拝するようには到底見えないからです


もしかしたら統一王国を本当に実現しようと思うのなら
真の父母を中心とした「国のかたち」をどこか小さな島国にでも
全祝福家庭が移住してそこに理想の国のかたちを示す以外に無いのかも知れません
南米のジャルジンはその構想の始まりだったのではなかったのでしょうか?


モルモン教もユタ州では大きな力を持っています
設計図のない建築物が造れないように
「国のかたち」のない統一王国もまた造ることは出来ないのです


マックス・ウエーバーは「儒教とピューリタニズム」の中で
宗教の持つ閉じ込められた独自の「神強制」、「神奉仕」を払拭し
呪術からの解放と合理的な知性を土台とした人間の自立性を強調しました


原理講論も同じように科学的な知的理解を軽視する今までの宗教を
批判し科学と宗教を統一させた立場から発表された新しい真理でした


それがいつの間にか教祖を神格化し
見えない世界への呪術信仰に先祖返りをして
奇跡を求める霊界信仰による「国のかたち」が現れることを期待しているのです


人体の神経組織は人間が統一された存在であることを教えています
小さなとげが刺さっただけで全ての意識がそこに集中するのは
まさに個と全体が一つになっているからです
昔、原理講師がこんなことを言っていました
「神経とは神の愛が伝わる経路のことを象徴しているのです」


細胞の一つ一つに張り巡らされた神経に倣って新たな人体の相互授受を研究し
共生社会を構築することが人間に与えられた責任分担なのかも知れません

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