国家の復帰とは

日本が戦後発展したのはエバ国として文師が日本を摂理国家にしたからだと言われています。通常の歴史観ではアメリカが共産主義を封じ込めるために地政学的に日本を極東の基地とし、その為の軍事と経済発展の為の援助をしたからです。


「革命は銃口より生まれる」と言った毛沢東を信奉し赤い毛語録をかざした紅衛兵が連日新聞を賑わしていた頃、日本では70年の安保闘争を皮切りに左翼運動が日本中を席巻していました。当時は勝共の担当をしていましたから、まさに日本はすぐにでも赤化されるかのような危機感をもって毎日、駅前で遊説をしたり支持してくれる国会議員を訪ねて議員会館に通ったものです。


当時は我々の活動に対して好意的な議員や有識者がかなりの数いましたので、今よりも真剣な思いで国に対する意識や具体的な国家の復帰を身近に感じていました。そしてその最先端にいたのが他ならぬ文師でした。世界日報もワシントンタイムスも共産主義と対峙するためのメディアとして重要な役割を果たしていたのです。レーガン大統領やその側近たちはワシントンタイムスを購読しながら、我々の意見や論調を少なからず参考にしながら共産主義の世界戦略に対抗していたのです。


名前がリーガンと言うことからRe Againとして外的な再臨主を代表する摂理的人物としてアメリカでは多大なる支援をしていました。そのリーガン大統領のとったソ連崩壊へのシナリオはサウジを中心としたアラブ諸国と手を握って原油の価格を下げたことでした。ソ連の経済の中心は石油と天然ガスの輸出でしたからその価格の下落は彼らの国家収入に大きなダメージを与えたのです。経済破綻が一つの原因となって、1989年のベルリンの壁の陥落と共に共産主義ソ連の崩壊が始まったのです。


同時期に日本ではバブルがピークを迎えていました。株価は4万円を超え、近い将来8万から10万円台にもなると豪語されていたのです。ところが1990年二月に突然、株の大暴落が起こったのです。仕掛け人はソロモンブラダーズとかアメリカの謀略だとか言われましたが、当時の宮沢大蔵大臣はアメリカの要望を聞き入れ、土地の高騰に規制をかけてしまいました。そこから土地の下落が始まり担保として借りていた物件の資産価値が下落することによって証券会社や銀行の株価の下落を誘発したのです。当時は日本全体が土地神話というようなものがあって投資資産として誰もが銀行からお金を融資してもらい買い捲ったものでした。


そんな時、共産主義が崩壊したソ連を民主国家にする為にと、当時の自由化運動を推進していたゴルバチョフ大統領を支援する動きが西側諸国から起こり投資を含めた経済援助が始まりました。日本では朴先生を通して日本のバブルで成功した投資家をモスクワに連れて行こうと言う方針が出されました。当時、日本の建設部門でトップにあった某会社は外国に一兆円規模の投資をしていて、まさに飛ぶ鳥を落とすかのような勢いでした。


その社長を訪ねた時のことです。
社長秘書と面識があったのでその意義を説明し、社長にゴルバチョフ大統領に直接会えること、投資の価値の世界的な意義等々を説明したのです。一週間後、残念ながら答えはNOでした。よく話を聞いてみるとその社長は終戦時、満州でソ連に捕まり酷い仕打ちを受けたと言うのです。過酷な環境で長期間、生死を彷徨い、その時の抑留された恨みが未だ解けていなかったのです。


私は恩讐を愛し他の利益を考えるキリスト教精神が資本主義の原動力だと言うことを実例を挙げて説明し、もし援助することが出来たらあなたの会社は世界的に発展するとまるで預言者になったかのような気持ちで訴えました。が、願い虚しく社長の心を変えることは出来ませんでした。その後その会社はバブルがはじけると同時に社長は罷免され企業業績はあっという間に陥落してしまいました。


あの時の日本の好景気は何だったのでしょうか。私見ですが、今でもバブル現象は神が日本に与えた摂理だったと思っています。莫大な資金が流入し、巨額な富を得た日本が、もし神の摂理の為に、或いは世界の為に使っていたなら、きっと世界から尊敬と感謝を得たものと思っています。


日本人は世界に出て行って札束で世界を自分たちだけの利益の為に、物件を買い漁ったのでした。その結果は無残にも全てが不良債権となって瞬く間にその富を失ってしまったのです。しかし、少なくともその時、文師に送った日本の資金が、後のゴルバチョフ大統領との会談や金日成と文師の運命的な出会いに繋がったことを思えば、当時、苦労してFを頑張った兄弟たちの苦労は無駄ではなく神の摂理歴史として今も残っているのです。


国家復帰を願う今、私たちには具体的な方向と指針があるのでしょうか、韓鶴子氏を世界に向かって証すことで摂理が完了するのでしょうか。文師は綿密な戦略を立て具体的な方向性を示して私たちの活動に生命を与えていたように思えてなりません。


国の復帰を考えるにつけ、国家の根幹を形成する天一国憲法を何度か読みましたが、曖昧な表現と理解できない条文が多々あり、権力がある一定の選ばれた人たちに集中する在り方に違和感を感じました。国家は憲法が基本です。


国家復帰を真剣に摂理として考えているならば、何よりもこの憲法を一般の有識者に見せて判断してもらう必要があります。彼らが全面的に賛同してこそ初めて国家復帰の端緒につくことが出来るのではないのでしょうか。


普遍性に欠け、自分たちに都合の良い理想だけがそこに記載されているとするならば、この運動は何年たっても国家復帰と言うスローガンとキャンペーンだけで終わってしまいます。そして復帰の為にと幹部が全員集合して親指を立てて献金勝利と書かれた垂れ幕の前で嬉々として写真に写っている姿を見るにつけ複雑な思いになるのです。

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