超宗教と弘益人間

仕事柄、国際会議によく出かけました。国際会議の共通言語は基本的には英語ですが、英語にもいろいろあって、インド訛りは聞きにくく、かといってスコットランド英語も日本の寒い地方の方言にも似てモソモソ感がして同じように聞き取りにくいのです。米語は鼻につく感じがし、オーストラリアはA がIに聞こえ、シンガポール訛り、フィリッピン訛り、勿論、日本人訛りと多種多様です。またそこにはありとあらゆる言語と信仰を持った人がいるのですが不思議に違和感を感じないのです。多文化、多民族、多宗教が見事に融和しているのです。


文師はこうした世界中の多文化、多民族の宗教を超宗教として一つにすることを提唱しました。それは全てを統一教に改心させることではなかったはずです。神を中心としてそれぞれの信仰を尊重した上で、それらを纏める運動のスローガンを明確にしたのです。それが「神の下での人類一家族」でした。


例えば仏教の華厳経の考え方は、それぞれの民族の風俗や習慣、言語の違った背景があればあるほど独特の個性的出会いが出来ると言うのです。その時、大切なことはその人が語っていることが正しいのか正しくないのか、解釈が正統なのか異端なのかが問題ではなく、語る人がどのような動機、思いで語っているのかが重要になります。その思いが愛に根差していれば華厳経の蓮華蔵世界海(全てのものが救われていく世界)の中で一人一人が因陀羅網(それぞれがお互いに網のように結ばれている)の宝珠として互いを輝かせる相即相入(すべては一つのものに溶けあう自在な関係)になるのだと言うのです


いっそ超宗教と言うなら全ての宗教の優れたところを取り入れるのも一つの方法です。自分たちの理論で他の宗教を見つめている限りいつまでたっても統一はありません。良いところを柔軟に理解して互いに認め合う世界にならない限りこの運動は見果てぬ夢に終わります。


文師の三男の顕進さんが南北の統一に関して一つの理念を提唱しています。それを弘益人間と呼んでいます。


「今、韓国は歴史的な選択の岐路に立っている。いつ起こるかわからない戦争の可能性を抱えた現在の分断状況を受け入れたまま生き続けるのか、歴史の運命を自覚し、統一祖国を実現することで、すべての人々に利益を与える道を選び取るのか、・・・・朝鮮民族が進むべき道は、歴史の運命を受け入れ、弘益人間の理念に基づいた新しい国をつくる道だ。それ以外に道はない」Korean Dreamより


弘益人間とは「広く人間に利益を与える」ことだと言い、韓国古来の精神的遺産であり、特に1919年に起きた韓国独立運動の民族精神の根幹にも流れていたと述べています。まさに南北の国民が共有できる価値観の実例です。


第二次世界大戦が終わった1945年にキリスト教が文師と一体となっていたならば七年以内に神の国への道が開かれていたとみ言葉で語っています。また共産主義は七十年を超えることが出来ないとも言われました。1948年に南北に政府が樹立されてから今年で七十年、共産主義独裁の北朝鮮が限界にきているのは火を見るより明らかです。


朝鮮半島には統一へのビジョンがなければなりません。民族の根底に流れる精神的価値の共有がなければ共産主義独裁国家と民主主義国家とではどう考えても一つにはなれません。
超宗教と言う世界はそれぞれの宗教の枠から飛躍することではないのでしょうか。愛と言う感情にキリスト教もイスラム教もないように、神の心である良心もまた同じです。


来年は独立運動から百年目の節目の年になります。まさに文師の夢が実現する新しい時代の幕が開かれるときが来ているのかも知れません。

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