恩寵と感性
人間は理性のみでは本質認識は出来ません。
従って本質認識に至る道は恩寵という向こう側からくる他力と
現実世界の事象を判断する自力に依らなければなりません。
神という概念も自分の知性で認識する限りにおいては、それぞれの神観であり、
原理や文師のみ言葉に対する認識もその人にとっての原理でありみ言葉の理解となるのです。
これが神霊と真理によらなければ本質理解ができないと言われる所以なのです。
無意識の世界と繋がる祈りや瞑想、直感で受ける恩寵と感性による判断が
絶対的に正しいと強調するつもりはありませんが、それが私の認識に対する方法です。
霊的存在である人間は、その霊の根拠が自分の中にあるのではなく
無形なる神の中にあり、そこから流れて人間に繋がるとみます。
宇宙は原理で創造されているが創造は神のものであり、科学者は既に存在している原理を単に発見しただけなのです。
人間と神との関係を文師は父子の関係と言われました。
大切な事はその言葉を心情の中でどれほど強く感じているかと言うことです。
創造原理は突き詰めると四位基台の原理に集約されます。
即ち中心を神として如何に関係(授受作用)を構築するかと言う事です。
中心である神は生きている神であり、人間と同じように心情を有し躍動している神だと言うのです。
この生きている神を実感しながら生活しなさいと言う事は具体的にはどのようなことを言うのでしょうか。
膨大なみ言葉を紐解きながら文師の出会った神に全ての人間が出会えるよう
ささやかな経験を通して‘
これから少しづつ述べていきたいと思います。