原罪について 3(真の父母の原罪性)

「真の父母が出てくることによって、この地の上に何をもってきたのでしょうか? 真の愛を中心として、人類であるならば人類、霊界であるならば霊界に、新しい心情圏を形成したのです。その心情圏とは何でしょうか? 堕落の心情圏は血統的に違います。真の父母を中心として根が違います。根が違います。堕落した根ではありません。先生が根になり、ここに皆さんが接ぎ木されて大きくなっていくのです。皆さんの体が大きくなっていくのです。枝は切って火に投げ込み、サタン世界との因縁を切ってしまうのです」


「そうしてこそ、初めて本然の根から本然の心情圏を再現して、堕落しなかった本然の神様の愛、絶対的な愛を中心として同位圏に参席することができ、真の愛に同参することができるのです。のみならず、神様の真の愛を中心として宇宙の相続権を受けることのできる道が、愛の道だというのです。 真の父母が必要なのはなぜかといえば、心情圏を中心としてその根を下ろさなければならないからです」


「それでは、メシヤは来て何をするのでしょうか? 再創造の役事をするのです。神様がアダムを造ってからエバを造るとき、アダムを手本にして造りました。アダムのあばら骨を抜いてエバを造ったという話は、手本にして造ったという意味です。
 アダムを造ったのちに、エバを造りましたか、エバを造ったのちにアダムを造りましたか? アダムを造ったのちにエバを造ったので、完成した男性的アダムが出てくるようになるならば、その完成したアダムを標本としてエバが完成されるのです。ところが、アダムが責任を果たせず堕落したので、女をサタン世界に行って探し求めてこなければならないのです。探し求めてくるのに強制して探し求めてくるのではありません。愛を中心として自然屈伏させ、サタンの血統を否定しなければなりません」。


聖書の失楽園の物語は霊的な神話です。天使と言う存在自体が実体のない霊的存在であるが故、霊的に精通する以外、物語の真意を知性で認識することはできません。見えないものを信じるということは見えない心の内面を探求するということでもあるのです。
法則、原理、感情、知性、コトバでさえ見えません。この見えない世界のことを心情圏と文師は言うのです。そしてこの心情圏が堕落圏となってしまったので、新たに本然の心情圏を再創造するというのがメシアの仕事だと上述しています。


ユダヤの歴史はイエスと言う無原罪の第二アダムを送ることによって堕落圏に初めて神の心情が地上に繋がったのです。イエスの心の中に初めて神の心情が定着したということです。原罪のない即ちサタンの讒訴条件から解放された最初の人間でした。


イエスの誕生は神が相対出来る条件が立つことによってサタンの讒訴を退けたということ。そしてその心情の条件を文師は引き継いだと前回書きました。ではどのようにしてエバを復帰したのでしょうか。文師の言葉によれば、メシアの使命はエバを再創造し、その方法は完成したアダムを標本として完成させると述べています。愛を中心として自然屈服させ、サタンの血統を否定するということです。


原罪は精子や卵子が罪を持ったのではなく、性を通して原理軌道を外れた讒訴条件を作った状態にあると言いました。故に、正しい原理軌道を立てて讒訴条件を解放する蕩減条件を立てなければ堕落圏から抜け出ることが出来ないことを文師は蕩減復帰原理として説明したのです。


エバは天使長を父とし自分が母と言う立場でアダムを息子として生んだという非原理的状態を造りました。その状態を相続した人類を指してサタンの血統と呼んだのです。非原理的な天使長の妻となったエバ、そしてアダムに対しては非原理的な母になったという状態を復帰する為の蕩減条件をそれでは文師はどのようにして立て、エバを再創造する道を開いて行ったのでしょうか。


「その婦人が朴雲女ハルモニ(丁得恩)でした。その婦人は復活したエバであると同時に堕落直後のエバの身代わりの役事をしているために、二つの側の役事をする人でした。ある時は神様も入ってきて役事され、又、ある時はサタンも入ってきて役事しました」。
(真の父母様の生涯路程)


「エホバの婦人と言う女性が現れて、初めて復帰歴史を成し遂げることが出来ます」。
(神様の摂理から見た南北統一)


「三時代を中心として、第一回の摂理においてエバを失ったのは神の恨みである。イエス様はその胎内においてマリアを中心としてそれを復帰する為に来た。其れをまた失ってしまった。・・・その三大圏の女の形を復帰できなければ本当の夫婦を兼ねた子女を、カインアベルとして一体とした子女を迎えることが出来ない。そういう蕩減的な女性たちが必要である」(血統転換)


第二次世界大戦における韓半島でのキリスト教の基盤を失うことによって、再びゼロから出発することを余儀なくされた文師は母の復帰から摂理を始めたのです。その最初の摂理の役事の対象となった女性が平壌を中心として活動していた神様の婦人と呼ばれる人でした。


朴ハルモニは李龍道、黄国柱と言ったシャーマニズム的なキリスト教神霊集団に影響を受けた女性で自身を「神の母」と呼び、神の血統を持つ使命を持っていると主張していました。


啓示受けた文師は突如、幼い子供と妻を残して平壌に向かったのです。誰よりも深い神の心情世界を訪ねた文師が愛する我が子と妻を残して行かなければならない蕩減復帰摂理の始まりでした。


朴ハルモニの教えを纏めたものは「生の原理」と呼ばれ、その中心となる教義は「神の血統を持つためには自分の肉体を通した三回にわたる性的関係を通して聖なる血を実体で体験しなければならない」と言うキリスト教の教義では到底受け入れ難い宗教的秘儀が含まれていました。文師がそこでハルモニから何をどのように取得したのかは誰にもわかりませんが、それが祝福の三日儀式の原点になったことだけは確かなようです。


考えてみるに信者は当たり前のように文師の教えに従って、血統転換という祝福を受けるのですが、その骨子である聖酒式や実体での三日儀式の儀礼がどこからきて、どのような背景があるのかその詳細は知らされていません。儀式が具体的であるが故、そこには何らかの文師の深い実体験が伴わなければ公式化することは不可能と思われます。


この方法以外に堕落圏からの実体復帰はありえないという確信を得るために、文師が祈りの中でイエス様に問いかけたところ、何度も違うと否定されたということですが、それでも執拗に追求した結果、最後は神がその通りだと認めたと言う有名な霊的問答の経緯が文師のみ言葉に残されています。


翻って見るにタマルの話もマリアの話も当時の社会通念では極めて異常な行為です。同じようにキリスト教の道徳観が出来上がった現代においても復帰の不思議な経緯は公には受け入れがたい謎としか言いようがありません。しかし信者は聖酒と三日儀式が原罪を拭う決定的な行為であると確信しているのです


では文師はこの神の母との体験をきっかけに実際の韓鶴子氏を新婦として迎えるまで、エバの再創造の路程をどのように展開していったのでしょうか。


サタンの母から真の母へと原理を正すエバの実体的復帰路程は聖婚式に至るまでの女性との関係の中にあったと考えられます。


失われた本然のアダムの心情を70代、60代、50代、40代、30代、20代の女性たちとの関係を通して、文師は実体で神の本然の愛の橋を架けたと独特な表現をしています。本然の愛の橋を架けるには何らかの方法で男女間を繋げなければなりません。それが実体復帰としての6マリアの話にも繋がっていくのでしょうが、ここは未だ謎の部分です。文師の息子七男は6マリアの話は実際にあったとして、それを恥じてはならないと公に発表しています。 


また韓鶴子氏は長男の孝進が女性問題で離婚騒ぎになっているとき、文師の女性関係は摂理であったと述べたと洪蘭淑さんの「わが父 文鮮明の正体」の本に書かれています。本当にそれがあったかどうかを、故神山氏がダンベリーで収監されているときに、文師の口から直接「それはその通りだ」と聞いたということです。


神の見えない心情は肉体を通して相続するのが創造の原理です。堕落したエバの復帰が本然のアダムを通してしか再創造できないとすれば、全ての女性は文師の相対になる以外、帰る道がありません。しかし実際には不可能なことです。従って実体復帰をする肉的堕落の蕩減条件を年代ごとに象徴的に復帰する摂理があったと考えることは、あながち荒唐無稽なことではなく寧ろ原理的なことだと考えます。また、このことをしっかりと把握しなければ文師の側に長い間、妻のように寄り添い、実際に妊娠までした女性、崔元福先生の存在意義を理解することが出来なくなります。


信徒に結婚もしていないのに母と呼ばせ、実際に結婚した韓鶴子氏をある一定の期間、母として侍らせた。キリスト教では到底受け入れ難いこうした関係は当然エバ復帰の摂理として捉えなければ理解できません。


崔氏を正妻とし、韓氏を妾のような立場において一緒に生活した摂理は崔元福氏を復帰されたエバとして文師がそれまでに心情を注いで復帰した女性たちの代表としてその位置に置いたと言うことではないでしょうか。文師が真の父の立場に立ち、崔氏を復帰されたエバとして、当時10代だった韓鶴子氏をまさに父母のような立場で再創造したのです。


韓氏は娘の立場から妻そして母の立場を逆の経路で蕩減路程を辿り、妾の立場から正妻の位置に戻る原理軌道を正す摂理を七年間で勝利しなければならなかったのです。


「再臨主は人類の母を探しに来られるのです。即ち,新婦を探しに来られるのです……それでは、そのような新婦、即ち母とはどのような基盤の上に生まれなければなりませんか。堕落世界のアベル的な母の基盤の上で生まれなければならないのです」。
(祝福家庭と理想天国)


このアベル的な母の基盤が今問題となっているのです。それが韓鶴子氏の実際の母なのかそれとも、崔元福氏なのかと言うことです。原罪は血統的なものゆえ、父母が必要となります。韓氏は自分の肉の父母から無原罪で誕生したと主張しているのですが、原理的観点から見れば韓鶴子氏は崔元福氏を母としてでなければ辻褄が合いません。また文師の女性を再創造すると言う根拠がなくなってしまいます。


韓鶴子氏は崔元福氏のアベル的な母の基盤の上で血統を相続し、勝利の条件を引き継いだ証が、神の日、真の父母の日、子女の日、万物の日の設定に繋がったとみるのが正しい見方ではないでしょうか。


人類の復帰の為に戦った文師の心情の十字架はこうして恨みや憎しみで蹂躙された堕落圏に奇跡のような一条の光を射すことが出来たのです。


真の父母を立たせるために数多くの女性たちが創立以前の蕩減の道を辿ったことは未だ表に出てきていません。失われた神の心情圏を立て、神が定着できる橋をたった一人で架けた文師の偉業の背後にはこうした隠された女性たちがいたということを知ることが何よりも大切なことです。


「堕落による歴史の糸のもつれは、それを解いて再創造することなどとてもできそうには思えないほど複雑なものとなり。神でさえどこから手を付けて摂理するか戸惑うほどです。……….あなた方は何も知りません…….なぜなら自分自身の歩んだかかる苦闘の40年路程は、二度と誰にも味わってもらいたくありませんし、息子や娘たちにはできるだけ優しい道を残してあげたいのが、親としての先生の気持ちです。」(創立以前の内的教会史)

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