神を着て生きる後天時代 二世の為に

私はある時点で教会の献身生活を卒業し
実社会で働き始めました
そして其のまま定年になるまで頑張りました


そこで学んだことは教会に行き献金をして
氏族メシア活動をしなければ神の摂理と関係がない
と言う主張だけが真理だとは思わなくなったことです


私の仕事は公務員として政策を立案することが主な仕事でした
立案する目的は予算を有効に活用することによって雇用を促進し
経済効果を上げて国民生活を豊かにすることです


民主主義は国民主権ですから官僚のトップには選挙で選ばれた政治家がなります
各省庁の大臣は選挙のたびに代わるので方法論は変化しますが
政策の基本である国民生活を豊かにすると言う目的は同じです


国家の予算は主権者である国民に対して実に厳格です
税金がどのように使われているかを国民に開示しなければなりません
それは税金を使用する権力者の不正や賄賂を防ぐために
必要不可欠なことだからです


日本国憲法には財政法に基づき官報やホームページを通じて
広く国民に公表しています。
憲法第91条
内閣は国会及び国民に対し定期的に少なくとも毎年一回
国の財政状況について報告しなければならない


国家復帰を強調している今の家庭連合ですが
例えば家庭連合内での収支報告書が信徒に開示され
自分たちの献金がどのように使われているかを
明確にしたら如何でしょうか?


献金の使われた収支報告が明確となれば
それを使用する責任者は適当に処理は出来ず
公金管理に対して真剣にならざるを得ません


国家の復帰は具体的な運営のことです
小さな組織の収支報告さえまともに開示できないものが
国のかじ取りは幻想か夢に終わるのです


理想社会のモデルは誰かが持ってくるものではなく
今所属している中から築かれて行くべきものなのです


さて話が横にそれましたが
退職日が近づいてきたある時
お世話になった業界の方々が自費で私の退職記念パーティーを
開いてくれることになりました


微小ながらも業界の発展に貢献した私の業績を称えて
ウイットに富んだお別れの言葉を頂いた時は感無量になりました
これがカインを復帰した証なのかと
この時ばかりは自分勝手な感慨に浸らせてもらいました


私の最後のスピーチは「平和大使への道」でした
文師が語られたみ言葉の一端をこの社会の中で実現してみようと思い
社会に出たその最後の心情の証を文師と共に分かち合いたかったのです


み言葉を含んだスピーチは参加者の胸に響いたのか
後日沢山の方から暖かい賛辞をいただきました


真理はどこにでもあり原理的に生きれば人の心を打ち
響くものだと改めて実感したのです


音楽家は音楽を通して
絵描きは絵画を通して
文筆家はその文章を通して神を証することが出来るのです


私の妹は何度も清平の解怨式に参加してその功徳を語るのですが
私は一度として参加したことはありません


その昔
水沢里で論山ハルモニの霊界解放式に参加したときが
最初で最後でした


霊能者に祈願書を書いてお金を添えて解怨してもらうことも
良いでしょうが
人の為、世の為に生きることのほうがもっと霊界は解放されるだろうと
思っています


確かに摂理には中心摂理がありそれが文師を中心としたものだったのでしょう
全てを捨てて献身したときの体験は今も自分の人生の貴重な糧として
心の奥底に生きています


しかし原理が教えるように周辺摂理もあるのです
キリスト教が如何に中心宗教であったとしても
仏教も儒教もその存在意義があったことは歴史が証明しています


選民だけが光を浴びるみ旨の在り方は其れは其れで良いでしょう
しかし人間が原理的に生きるときは
神がいつも共にいるのだと言うことが
私の人生の確信です


氏族メシアの為に朝から晩まで活動するもよし
会社で神の実体としてその見本を見せるもよし


一編の詩が万民を感動させ
魂を揺さぶる一曲が人の命を救うのです


み言葉と言う武具を着て祝福の恩恵の中で
個人の中に生きる神を感じ
其れを家庭に反映させ
与えられた社会の中で生きて行くみ旨もあるのです


組織に忠誠を尽くす人は其れが自分の心情の成長になるのなら
続ければ良いのです
全ての人間を一つの組織の中に組み込んでその指令の中に位置づけようとする
今のやり方だけが神の御心ではないのです


神は限定されたところだけにいるのではなく
私を含めてこの大自然を所有しているのです
生きているこの地球に偏在しています


み言葉を訪ね
神の心情を復帰し
あなただけが持っている神の個性を存分に発揮して
それぞれが社会の為に責任を果たすときに
天国は開かれるのでしょう

×

非ログインユーザーとして返信する