閑話休題 2

機械的信仰観について


機械的な信仰観は神が創造した人体の原理に反します


生き物には運動をつかさどる筋肉があります
筋肉は状況に応じてどのようにでも柔軟に動かすことが出来ます
この筋肉を構成している分子にアクチン分子があります


アクチン分子は細胞分裂をするのに必要な分子なのですが
この分子はいつも揺らいでいてふらふらしているのです


ふらふらしている人間は相手の影響を受けやすく
優柔不断なネガティブなイメージがありますが
分子においてはこの曖昧性が逆に相手を受け入れる素地となり
全体として協調性をもって細胞同士が動くことが出来るのです


「ゆらぎ」はまたミクロの量子力学の中でも言われています
陽子は真空では常に対生成・対消滅している状態だと考えられ
超弦理論で言われるように常に振動しながら揺らいでいるのです。
つまり現実にあるミクロの世界の物質は極めてあいまいで
いい加減にふるまっているということなのです


「ゆらぎ」の言葉を変えて言えば
状況に応じて如何様にも変化できる可能性だともいえるでしょう
生物は人工機械のように固定されて機能するようには造られていません


生命を維持させる分子細胞はこの「ゆらぎ」が試行錯誤しながら
外界からの影響を受け柔軟に自律的に動いています


ノーベル賞を受賞した物理学者の湯川秀樹は
「生物は積木細工のようになっている」という
物理法則に従って厳密に動くものと思っていたようですが
人体を構成している細胞は外界からの影響に常にさらされているので
いつどこからどのようなシグナルが来ても対応できるように
細胞自体が柔軟で且つ硬直化していない
「あいまいさ」をもっているのです


テニスの選手の足の動きのように
どこから強烈なサーブが来ても対応できるように
筋肉は常に動きながら準備しているのです


コンピューターと人間の違いはこの「ゆらぎ」とあいまいさが
あるかどうかなのです。


機械的信仰と言ったのは
例えば先日の祝福式の中で韓氏オモニが「私を100%信じますか」と聞いた時
全員が「はい」と答えていましたが
生物学的には或いは物理学的にはありえないことなのです


細胞を造っている分子や物理学でいう量子は100%常に確定できない
不確定性原理が基本なのですから


「はい」と言って信仰を示すことは心の精神作用です
しかし心は揺れ動くことが基本なのです
それは情緒不安定の意味ではなく成長期間における
人間の自由と創造性の発揮できる可能性のことをいっているのです


硬直化した信仰はこの人体の持つ揺らぎを無視して
自分の中に入力インプットされたことを絶対視する機械的信仰者のことです


自分の心を良く見つめてみましょう
自由とは車のハンドルのように余裕があることです
右にも左にもハンドルを切るためには曖昧さと遊びがなければなりません


信仰に「ゆらぎ」がなければ一つの考えの中に固執して
環境に対応できなくなるでしょう
だから韓氏オモニは独生女、そして絶対服従と入力されれば
その言葉に縛られてしまいそれが正しいのか間違っているのかは
どうでも良くなってしまいます


神の創造した心と体は一体ものです
それゆえ信仰も体と同じように
ゆったりと柔軟性を持つことが基本なのです
信仰は硬直化されて強制されるものではなく
全ての可能性を受け止めることが出来る自由で柔軟な余裕のある
そして時に曖昧なアクチン分子であるべきなのです

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