祝福敬礼式を見た感想

共義主義とは共に義を抱いて生きることではなく
共に神に侍る侍義のことだという
その神が雛壇の玉座に納まる韓鶴子女史になるので
信徒はその前に深く敬礼して貢物を捧げ
全員がその前で億万歳をして尊母の念を示す


これが先日行われた敬礼式です


この光景を見ながらこれが人類の理想世界の形なのだろうかと
思わず自問せざるを得ませんでした
私には嘗ての歴史上に現れた専制独裁王権が
再現されているようにしか見えなかったのです


侍るとは本来見えない神に侍り神と共に生きることなのですが
真の父母を神の実体として形式化して
雛壇上の人間に敬礼することに繋げたのです


しかしこの伝統は普遍性を持っているのでしょうか?
それとも韓国の儒教文化を只継承しただけなのでしょうか?
そして聞きたいのは信徒の中には違和感を持つ人は皆無だったのでしょうか?


人間はそれぞれ民族の伝統文化に影響されるのは否定できません
そして固有の文化伝統の普遍化に寄与してきたものが
宗教だといっても言い過ぎではないと思います


限られた地域での宗教カルト組織がカルチャーとなり
そこで行われた作法や慣習が文化の衣を着て文明に影響を与えたのです


その観点に沿えば韓国で生まれたこの宗教が韓国の文化や伝統に
影響されることは当然のことなのですが
統一運動の初期の目的は世界の基督教を統一することでした


従ってキリスト教文化を継承するのが本筋なのに
いつの間にか韓国民族文化宗教に変形してしまったようにみえるのです
そこに違和感があると言いたかったのです


世界化する為には普遍性がなければなりません
真の父母が決めたのだからそれが普遍性だと言われれば
議論はそこで終わりますが
本来復帰原理は過去の基台の上に継承されるというのが教えです
その基台を継承したはずのキリスト教文化は
いつの間にか消えてしまい聖書を引用したり
讃美歌を歌う伝統はこの組織からは無くなってしまいました


さらには共義主義ばかりが強調されるので上位下達は一向に変わりません
しかも孝情と言う儒教的な言葉に変えてひたすら信徒には忠誠を求めるのですが
孝情とは本来、親が子供に十分な愛情を注いだ土台の上に
成り立つものだということを幹部は特に肝に銘じるべきでしょう


責任分担を果たせと言う要求ばかりを指示する中には
本当の孝情は生まれません
大会を通して見えることは相変わらず韓鶴子女史におもねる
共義ばかりを要求する風潮です


地上天国とは本来、共生と共栄主義を具体的に示すことなのです
忠孝は渋谷のハチ公にあたりに任せてそろそろ真剣に共生とは何か
共栄とは何かを提示すべきではありませんか?


理想世界のビジョンをスローガンにして2020年の国家復帰を唱えても
決して来ないことを幹部たちは知っているのです


しかし信徒に対してはひたすら孝情を示すことを演出して
大会を開き献金を要求しているのです
目に見えない霊界の絶対善霊を持ち出しては
突然どこからか地上天国が降って来るものと信じさせるのです
お金で霊人が絶対善霊になるのなら復活論は無用です


加えて教会関係のブログや広報はあたかもこの運動が大々的に発展して
世界中が受け入れているかのように報道する様は
今はやりのフェイクニュース以外の何物でもありません


浮ついた記事や動画がどれほど信徒に間違った幻想を与えているのか
自戒する指導者もいないのですから


いったい摂理と称する活動の中でどこに信徒や個々の人間の生活に直結する
共生共栄の萌芽が見えますか?
共義主義が先行して主に侍ることのみが善とされ
このままでは共生も共栄も只の絵に描いた餅ではありませんか


半世紀にもわたる活動を通して日本のどこに
共生共栄が実現されているのか教えてもらいたいものです

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