生きることは四位基台

「今日の一般の人たちは、上下関係、左右関係、前後関係は語ることが出来ますが、
中が抜けています。上中下を知らなかったと言うことです・・・
統一教会の教会員たちはここに中を添付しなければなりません・・・
上下の中心を知りません。左右の中心を知りません。前後の中心を知りません。
その中心の位置に誰がいらっしゃるのですか?神様がいらっしゃるのです

2004・6.1


現象世界は全てが主体と対象に分節化されています 
それはコトバの機能がそうなっているからです
無形実体世界とは神の心情がロゴス(言葉)と結びついた
元型的な本質世界と定義できます


例えば花と言う本質は有形実体世界が創造される前は
無形実体世界におけるコトバの概念
元型としてあるだけだったのです
この無形実体のコトバのイマージュ世界が
エネルギーと結びついた時
有形実体世界が始まると見なければなりません


そして有形実体の世界が個々に分節化され
千態万象の形をとなって現れるのは
コトバが形状であるエネルギー物質と結びつくときなのです


より本質的に言えば暗黒の宇宙、闇を切り開いた最初は
コトバの元となる音が始まりなのです
闇と言う漢字を見ると音が門の中に入っています
これは夜の世界から昼の世界への転換を音で象徴したのです
夜の神様や昼の神様は単なる概念ではなく
ロゴス的にも将来においては思想化される必要があるかもしれません


仏教ではア音、神道ではス音が最初にあったと言われ
聖書にも「光あれ」と言葉が始まりとなっています


コトバが意識にとって意味を持つのは母音と子音が重なった時です
根源的父音は宇宙創造前のイマージュ世界の夜に内包されているので
一種の記号(情報)のような段階です


その父音の記号(情報)が現象化されるときは母音が基本となります
従って子音は全て母音が支えて言葉が造られていきます


日本語はアイウエオが母音となっています
例えば子音のカを伸ばすとカ・ア音と一体になっていることが分かります
これは元型である神が二性性相の家庭的四位基台となっているからです
言葉も父(夜の神)と母と子(昼の神)の関係から出来ているということです
何気なく使用している言葉も基本は四位基台なのです


朝目覚めると同時に意識(言葉)は必ず何らかの対象に向かいます
窓があれば窓の外を眺めて庭先の木々を見たり
その上に広がる空を見上げながら今日の天気を知ることが出来ます


目の前の窓から庭先の樹々の色合いを見て
それらの事物が何であるのかを認識できるのは
自分の中に事物の本質を認識できる言葉があるからです


存在は神の四位基台を中心に始まりましたから
全ては与えられたものです


四位基台は主体と対象が神を中心として授受作用をするのですが
授受作用を通して対象を認識するとその対象の本質が結果として
合成一体化し立体的な中心には常に神が介在していると言うことになります


上下・左右・前後 主体と対象の関係性には中が隠されています


樹々の緑を見てそこから返って来る美の感動は
私と対象だけの関係ではなく中心にいる神も
私を通して共に美を味わっているのです


また全ての対象物は私の自由な選択によって決定します
何を見るのか、何に触れるのかは人間に与えられた特権です
焦点が定まった事物との関係の(中)が大切なのです


花を見てその美しさを知覚するのは私
花の喜びを感じるのは私と神なのです
従って喜びと言う情は私だけのものではありません


神は愛に象徴される見えない普遍的実体です
主体と対象が共鳴作用することによって
中心にある神が現れるのです
全ての意識作用の中にこの神の愛が介在していることに
気が付くことが四位基台の意味です


存在の基本原理は四位基台
生きている生活の一瞬一瞬が四位基台
食べることも話すことも見ることも
そこに神が介在すれば四位基台の完成です


家庭は四位基台の基本的な在り方ですが
堕落とはその中心に神がいなくなったことを指します


全ての意識の発露に神を立体的に感じながら
生きることが出来れば
それで完成なのです
それで終わりです


人類普遍の生活理想が四位基台の実践です
三大圏の四位基台が完成することが何故重要かと言えば
神の創造の全ての心情が三大圏の授受作用に現れるからなのです


神は天宙に固定された心情的概念からコトバと共に
人間を通して変幻自在に変化し成長することによって
生きた神となったのです


一人ひとりが貴重なのは
神の唯一のかけがえのない存在だからです
それはあなたが完成しなければ
神もまた完成しないからです

×

非ログインユーザーとして返信する