新しい胎動を期待して

1945年の終戦を前に朝鮮半島ではキリスト教の霊的集団が
摂理の中心にありました
しかしその集団は霊的な啓示を天から直接受けていたにも拘らず
肝心の文師を受け入れることが出来なかったことで
失敗に終わってしまったのです


マリアもヨセフも、ザカリヤもエリサベツもイエスを生むまでは霊的に導かれ
通常では考えられない摂理を勝利したのです
ところが不思議なことに肝心のイエスが生まれてからは
その勝利の基台が次々と壊されていったのです


それは霊界からの役事は終わったことに目覚めなかったからなのです
彼らはきっと霊界に偏重した信仰観のままで
実体摂理であるイエスに対して
現実感覚をもって見ることが出来なかったのです
その象徴的な出来事がヨルダン川での洗礼ヨハネの態度でした
霊的な役事が終わると現実のイエスが只の普通の人に見えたのでした


換言すれば神の神霊をイエスの中に見る人間の責任分担の実体摂理を
理解することが出来なかったのです
イエスと言う実体の中に神が生きていることが解らなかったのです


このことは現在の我々にも言えることです
個々の成長期間において霊性が研ぎ澄まされないと
神が日常的に自分の中に顕現することがなかなか
わからないのです


現実に生きている神を授受作用の関係の中に感じない人は
宗教的な組織の慣例や指導者の言葉にだけ追従する
僕の信仰生活から脱却できないのです
それが信仰を形骸化させご利益信仰に陥落していく原因となるのです


家庭連合は相変わらず清平の霊界役事と
韓鶴子氏の言葉にのみ絶対的価値を置いています
生きた神が一人ひとりに働く後天時代の「実体み言葉」の境地に
信徒を導くのではなく従順な羊の群れ状態に囲っておきたいのです


指摘しておきたいことは
統一運動の混乱の核心は韓鶴子氏の原理観にあることと
その内的動機の世界に問題があるように思えてならないのです


それは恨みの心情です
本来なら真の家庭を示すことが母としての使命であるにも拘らず
公的には殆ど語ったことがありません


理想家庭は外部に対する観念的メッセージであって
ご自身の家庭に対しては沈黙を保ち
その真意は決して語ろうとせず隠されておられるからです


恨みの情を最初に察知したのは
外でもないご自身の息子たちでした
その内面の葛藤を察すれば察するほど
確かに人間的な同情心を禁じ得ないことは事実でしょう


凄まじい愛に纏わる葛藤(女性問題)が常に夫と共に
あったことは否定できないからです
女性である限りこれほど辛いものはありません
如何に全女性の蕩減だと頭で理解したとしても
情は抑えることは出来ても消えるはずはないのです


この事柄について
どんなに教会の幹部たちが韓鶴子氏は見事にそれを勝利したと言い
恨みなど毛頭ないというのでしょうが
実の家族がそれを認めているのですから
外部の人間がいくら称賛しても
教会や韓国特有のこうあって欲しいという願望にすぎません


使命を持った文師に対して
「私以外の女性と結婚すべきではなかった」と述べ
またUCI裁判では3男に対して陳述の中で
「ジェット機まで売る息子がどうして息子と言えるのか」と
その売却に対する不平と不満の恨みを思わず吐露していました


こうしたご自身の内的心理状態が必要以上に
絶対主権を自己に向けさせ信徒に対して完全なる服従を要求する
原因の一つになっているのでしょう


恨みの霊界は愛と許しでしか解放することが出来ないというのが原理です
ところが自分に従わない者に対しては徹底的に排除し
排斥した結果が今日の分裂状態を惹き起してしまったのです


後天時代とは啓示を通して生まれたイエス誕生秘話を越えて
実体イエスの中に神を見る信仰観への転換をしなければなりません
ところが依然として救いを自分と自分の先祖に向けるばかりで
終戦末期の韓国祈祷団と同じよう霊界偏重主義に陥ってしまっています


霊界を信奉し始めるとそこから抜け出ることが難しくなるのは
見えない世界には常に恐怖が内在化されているからです
霊界の祟りや先祖の導きが無くなると病気や怪我をするなどと言う
恐怖信仰を植え付けられると現実感覚がマヒしてしまうのです


三弟子の一人である金栄輝氏が「オモニは原理が分かっていない」
と明言されました
過去にどれ程献身的に働いた人間でも時を逸すれば
失敗したマリアや洗礼ヨハネになってしまうのです


韓鶴子氏が本当に宇宙の母ならば
母としての謙遜さがにじみ出なければなりません
どこの大会でも必ず開かれる祝勝会で
自分だけが特別に設置された豪華な椅子に座って
余興を楽しむ光景は慎むべきなのです


本当の宇宙の母ならば苦しむ人
悲しむ人がいる限り母はその子供たちと共にいたいと思うはずです


だからと言って韓鶴子氏が歩んだ路程を完全に否定するのではありません
人間としては耐えられない程の心情の十字架を歩んだことは
信徒であれば誰もが認める事実だからです


だからこそ残念なのです
あと少しの辛抱と強さがあれば教会は
このような分裂には至らなかったはずです


マリアがイエスを生んだことは人類史の最大の出来事でした
同様に真の父母として立った韓鶴子氏も人類史における金字塔を立てたのです


しかし摂理は国家的なレベルにおける最終的な局面を未だ残したまま
完成していないのです


過去にも何度となく提言したのですが新しい時代の志士となる
若者はどこにいるのでしょうか?
と思っていたら最近になって実社会で働きながらこの現状を憂いている
二世の若者たちが力を合わせようと立ち上がり始めたという声を聞きました


その動きが新たな胎動となることを心から願いながら
もう一度全体が一丸となって協力できる日を心から期待したいものです

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