日韓不信の内的要因

「まず正確な現状診断が求められる。我々には日本に対する感情の蓄積
日本には韓国に対する不信の蓄積がある。
これまでは「感情の蓄積>不信の蓄積」だった
其れで何とか解決してきた。…しかし今は感情の蓄積=不信の蓄積になった。」


「韓国に対する不信は、『いつも謝罪を要求して約束を覆す』と言うものだった。
文在寅政権に入って、『韓国は米国・日本側ではなく中国・北朝鮮側』と言う不信が
新たに加わった。友好国(日米)を配慮せず北朝鮮との関係改善にオールインすると見ている・・・日本はすぐに国際法に言及するクセを直さなければいけない。
感性外交を通じて韓国の感情をなだめなければいけない・・・・」
1月30日・韓国の中央日報


ここでは韓国の外交は感情外交だと言っています
感情とは五感を通して感じる情の動きのことですが
この情が常に日本に対しては「恨みの感情」として
韓民族の中に蓄積されているとこの記事は述べているのです


韓国併合の「恨み」を完全ではないにしても和解に合意し
両国は未来志向で1965年に日韓基本条約を締結しました


本来ならここから新しい未来に向かって進むはずでした
特に併合体験を知らない若者に対しては「恨みの情」ではなく
「平和と友好の情」を教えて行くのが当然のことだったのですが
韓国は国を挙げてその子供たちに「恨みの情」を植え付ける
教育をしてきたのです


人類歴史は血で血を洗う悲しい事件や戦争が多々あります
誰かがその歴史に終止符を打って本然の人間関係を構築しなければなりません


イエスが二千年以上たってもなお
不滅の輝きを放っているのは
その悲しみや恨みを解放する唯一の方法が
「汝の敵を愛せ」という恩讐を愛する
愛の崇高さに対して誰も否定できないからです


日本と韓国の関係は加害者と被害者の関係に例えられます
確かに被害者にとっては忘れがたい苦痛なことが
数え切れない程あるはずです


しかし被害者が一旦謝罪を受け入れ
それに合意して和解したのなら
そこから新しい本然の人間関係が始まらなければなりません


アベルとカインの恨みの兄弟関係が
ヤコブとエソウの和解によってイスラエルが
勝利者の称号を得たようにです


その土台の上にユダヤにメシアが出現したのです
そのメシアを守り和解の伝統を引き継いでいくはずの民族が
では何故イエスを磔刑にかけてしまったのでしょう


それは愛と許しの情を引き継ぐことが
出来ていなかったから原理でいう
サタンが入ったのです


キリスト教の基盤の上に再臨された
文師の韓国に対するメッセージも同じように
「恩讐を愛せよ」でした


ところが韓国が国民に醸成してきた情は
「恨みを忘れるな」だったのです


この情を転換させ本然の愛の情を復帰する為に
集められた者たちが統一信徒ではなかったのでしょうか


初期の先輩方はまさに血と涙と汗の路程を辿りながら
韓国の隅々にまで新しい福音を述べ伝えたのです
そしてその声は日本にも届き
瞬く間に世界中に広がって行ったのです


しかし肝心の韓国では「恩讐を愛する」という福音が
国民の中に十分に浸透していなかったのです


結果だけを見れば「恨みの情」だけが代を重ねて
蓄積されて来てしまったのです
それが記事にある「感情の蓄積」の意味でしょう


原理で教訓として学んだことは
過去の勝利の基準を外してはならないと言うことでした


ヤコブとエソウの恨みを乗り越え
和解の伝統の上に立っていたならば
イスラエル民族はイエスの福音の本質が
「許しの愛」であるということに気が付いたはずなのです


しかしながら歴史は無残にもイスラエル民族の
不信仰によってイエスを磔刑につけ
彼らは摂理から外れてしまったのです
彼らが払ったその悲惨な代価は改めて繰り返すまでもありません


では韓民族は文師を完全に受け入れていたのでしょうか
残念ながら未だに韓国では異端のカルト運動として見られているのです


妻である韓鶴子総裁が日本に対して事あるたびに
贖罪意識に言及する時に感じる危惧がここにあります


それは和解したヤコブとエソウの勝利の基盤を
引き継いでいなかったイスラエル民族と重なるからです


「不信の蓄積」とは謝罪に対して
許しの情を感じなければ両者は永遠に不可解な不信感を抱いたまま
決して一体化できません


近代においては平和条約の締結をもって
国家間の軋轢は和解したと見るのが本筋です


もしこの和解を反故しようとする動きがあるとすれば
我々はそのことに対して注視していなければなりません
なぜなら、その情こそがイエスを裏切り
ひいては神の摂理を失敗させたことに繋がるからです


では何故、韓国から神が離れようとしている
と思うのでしょうか?
どこかにその原因となる発端がなければなりません


私はその発端を文夫妻から始まったと見ています
こんなことを言えば不信仰の極みなのかも知れませんが
「オモニは完全にアボジと一体化している」という
本部の通達を聞けば聞くほど
私には何か得体のしれない力が
その背後にあるように感じられてならないのです


神の摂理を破壊しようとするサタンの狙いは
常に中心を破壊することにあります
これは「クラウゼビッツの戦争論」を持ち出すまでもなく
戦いの本道なのです


実態だけを見れば真の家庭は完全に分裂状態にあり
外的に見ても韓国はキリスト教の伝統を引き継ぐことに失敗しています


許しも愛もない「恨みの情」を
何年も子供たちに教育すれば
今日のような状況になることは分かり切ったことなのです


感情(恨み)の蓄積を国是としてきた民族性を
「恩讐を愛する」という文師の福音によって
転換できなかった結果が日韓の分断に表れていると見るのは
確かに一般的でないことは重々承知しています


しかし摂理の原理観からは見れば十分に考えられることだと思っています


韓民族が文師を完全には受け入れなかったこと
韓国の統一食口も隅々にまでその教えを浸透できなかったこと
そして何よりも真の家庭が分裂していること
それが今、神が韓国を離れようとしている
原因なのではないのでしょうか?


神の摂理は全て成功するとは限りません
もっと言えば殆どは失敗してきたのです
神統一韓国が風前の灯火になっているのなら
神は次の戦略を必ずどこかに準備しているはずです


それが三男なのか七男なのか
或いは全然違う処から光が射すのか誰にもわかりませんが
「篩にかけられる混とん状態」であることだけは確かです


そして一つだけ言えることは「良心」を神として
一人ひとりが主体意識を自覚して自分の中に現れる
神の実存的体験を重ねることしかないのでしょう

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