祝福に関する考察 その2

祝福一世の最大の関心事は自分の子供たちの結婚問題でしょう
なぜなら結婚にこそ原理の全てが集約されているからです
祝福は家庭連合も分派も関係ないのです


祝福権がどこにあるのかということで
それぞれが自分たちの正統性を主張していますが
一般信徒にとっては何が正統で異端なのか
その意味さえよく理解できていないのです


堕落とは神が実体的に人間の中に現象化できなかったことをいいます
神の現象化とは無形なる神がどのようにしたら
実体として顕現されるのかと言うことです


宗教家の目的は個の内面に神を感じることが
神の実体化だと思ってきました
祈りや瞑想を通して神との一体化を図るために
様々な修行や方法論を示したのです
確かに祈りや瞑想を通して精神の奥深くに神霊を
感知できたという体験が神人合一として語られています


しかしそれが本当に実体の神体験なのでしょうか?
ある種のドラッグを利用すると脳細胞が影響されて
不思議な境地に至ることが科学的に証明されています
その脳の状態と修行者の状態が酷似していることも
良く知られていることなのです


文師の発見は余りに身近なことすぎたので
未だにその真意をつかみ取ることが出来ない信徒が沢山います


文師の神の現象化は個人では達成できないというものでした
何よりも原相の神が二性性相だと言うことです
この二性が現象化するためには人間でいえば男女を通してしか
現象化する以外にないと言うことなのです


ではこの男女がどのようにしたら
神の実体対象になれるのでしょう
それが結婚だといいます
その結婚が失敗してしまったことを堕落と呼び
原理講論では不倫なる性関係が原因だったと表現していますが
それは結果を述べたのであって本当の原因は
嫉妬による自己中心性の動機が問題だったと文師は説明しています


この自己中心の反対にあるのが他者中心です
自己中心の意識はどのようなときに出てくるのでしょうか
端的に言えば自分と言う個体認識は肉体と言う個別性を持った時から生じます
またその肉体の個別性は生命を維持しようとする
本能的欲望に集約することも出来ます


動物はこの生命保存本能を中心に生存しています
人間も肉身の本能だけを見れば動物と全く同じです


では人間と動物の違いは何でしょうか?
人間はこの肉身の本能以外に心の要素を持っているのです
即ち肉身の欲望を主管する為の心的要素を備えていると言うことです
原理でいう間接主管圏とはこの心による肉身に対する
主管性を立たせる成長期間のことでした


それを愛という観点から考えてみれば
愛には受動的な愛と能動的な愛があります


この二つの愛の方向性の中心は私なのですが
受動的愛とは自己に対して他者から受ける愛のことです
能動的愛とは他者に対して自己が与える愛のことです


成長期間において人間は受ける愛から
与える愛へと成長することを神が願ったのです


人間は親や周辺から受動的な愛を受けて成長します
しかしその愛が能動性をもって他者へ向かう愛に芽生える時期が
訪れてくるのです


それを文師は初愛の情と呼びました


初愛の情とは自分の中に自分以外の異性の愛を感じることなのです
これこそが二性性相の神の現象化の最初の表れなのです


見えない神が異性として自分の心を占領し始める実体験なのです
それを「戒める」のは神(父母)の役割なのでしょうが
多くの父母が勘違いしているのはその初愛の情を
共に見守り育てていくと言うことをしないのです


父母に相談しながらその初愛の情を育てる子供たちは
どれ程恵まれていることでしょうか


例えば異性を家庭に招待し、其れこそ理想の家庭の在り方や
人生問題を共に共有していくことが出来れば
子供たちは隠れて不純な行為に陥る確率はなくなるはずです


その初愛の情を堕落の情として断罪する時に
子供の心に混乱と大きな傷が残ることを知らなければなりません
一世の殆どの結婚観は愛を中心としてというより使命感に近かったのです


使命感の中には神の完全な現象化は起こりにくいのです
初愛の情を大切に育てるとその情は自己中心性の肉的本性を
越えて他者に対する完全投入の情へと育っていくのです


やがて祝福の日を迎えたその時には二性性相の神が
その二人の愛の中心に実体として住むようになるのです


個人がいかに修行しても感じることのできなかった
二性の神が男女を通して完結する天国の雛型の始まりです


その血統圏の中に生命が継続されて行くので
その男女を指して真の父母と呼んだのです


あなたが真の父母になればあなたの子供たちにも同じように
祝福を与える伝統が継承されその家庭の中には常に神が定着するのです


父母マッチング或いは書面に自分の希望する相手の条件を
書き連ねて結婚を促すやり方は初愛の情を育てようとする
本然の祝福とは程遠く単に形だけを優先する方式に見えます


しかもその書面の内容には学歴、職種、身体上の欠陥が或るなし、
容貌等の項目が子細に示されています


相手の為に全てを捧げる本然の愛による男女の結びつきを奨励するのではなく
各家庭のエゴを助長するのが現状の祝福なのでしょうか?


神は男女を通して現象化し神の愛が宿った父母は
堂々と子供たちを育て、思春期が来る初愛の情を正しく導いてやれば
神の血統圏は自然に広がっていくのです


どこか宇宙の彼方にいる神から父母を通して実体的に現象化した
神の姿を相続させようとした文師の本質にそろそろ気が付くべきなのです


神は男女を通して家庭の中に臨在し私たちの神になるのです

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