異様なシャーマニズム信仰からの卒業

清平を中心とする異様なシャーマニズム信仰が
多くの信徒にとっては絶対的になっています
目に見えない霊的な世界の権威を信じることが中心になってしまうと
真理は知性を離れて盲目者の手の中に落ちてしまいます


宗教が知性を無視して信仰と言う隠れ蓑に入ってしまうと
信仰している対象に帰依することが全てになってしまい
そのことによって客観的に見つめることが困難となり
自分たち以外の考え方に対して排他的になってしまうのです
これが宗教の統一が難しい大きな要因の一つです


原理講論には
「信じると言うことは知ることなしにはありえないことである
と知性の重要性を強調し
「真理は唯一であり、永遠不変にして絶対的なものである。
しかし聖書は真理それ自体ではなく真理を教示してくれる一つの教科書として
時代の流れと共に漸次高められてきた神霊と知能の程度に応じて
各時代の人に与えられたものであるために時代によって変わらざるを得ないのである
従って我々はこのような性格を持っている教科書そのものを
不動のものとして絶対視してはならないのである

と書かれています


神霊や知性は常に恒常的に進歩するのです
信仰者にとって一番気を付けなければならないことは硬直化した信仰観です


文師も神に対して執拗に問い続けて原理を解明したといわれます
同じように我々もみ言や原理に対して新たな視点から問い直しても
なんら問題はないと言うことです


科学的に検証すればするほど原理講論の内容や
文師の語った歴史観の一部においてさえ
事実に即していないところが分かってきます9


受動的に受け入れることが信仰ではなく
その内容が正しいかどうかが大切なことなのです


真理は時代の神霊や知能と共にまさに進化しているのですから
より現実的に応用することによって新たな真理の光を見つけるべきなのです


例えば堕落論に関して晩年の文師は全く新しい解釈をしました


「エデンの園でアダム・エバが堕落する時の蛇とは誰のことですか?
蛇は天使長のことを言うのですが、そうではありません。
蛇は何かというと男性の生殖器だという結論を出すのです

第十二回世界統一国開天日


「蛇とは何かというと男性の生殖器のことを言っているのです
御言葉選集304巻 1999・10・10


どだい無形なる天使が人間の赤ん坊を育てることは不可能です
仮に子育てを天使に任せたということが本当なら神は親としての
最も重要な父母の愛を与えることを放棄したことになり
それは四位基台の創造原理の否定になります。


堕落論に突如天使が出てくるのは聖書の解釈だからです
復帰はキリスト教が中心だったので聖書に
新しい光を当てることが重要だったのでしょう
創造原理の四位基台のどこに天使が入る余地があるのか
教えてもらいたいものです


人間の肉体には臍があります
それは幼児は臍のうを通して母親の胎中から生まれたという証拠なのです
アダムとエバも全ての人間の先祖なのですから
同じ肉のカラダを持っていなければなりません


従って天使が赤ん坊の時から育てたのではなく
肉の親がいたと推測することは理にかなったことです
こうした神話解釈も今後は新たな生命科学の観点から
検証されなければなりません


堕落論は神話の内容が根本になっていますから
様々な解釈が可能ですがもし蛇が天使長でなく
天使長的霊性を持った人間だというのであれば荒唐無稽な抽象的な話から
具体的な人間同士による三角関係だったと言うことにもなります


そうすればエバが二人の男性と関わった心情の縺れを蕩減するためには
男性が辿った心情を逆の立場から復帰する為に
二人の女性である妾と正妻の心情の立場に立って
蕩減する摂理があったと考えることもできます


これらの真偽は今後より深く研究される課題の一つになることでしょう
また追い出されたカインがどこからか現れた妻をめとり
誰も彼を打ち殺すことがないように印をつけたとあります
そのカインはまた町も建てたと聖書にはありますが
僅かな期間に町が出来るほどカインが何百人も子供を生むことは出来ません。
原初の人間に対する文化人類学的な考察も必要となってくるでしょう


実際、土を耕したり、家畜を飼うことは
社会共同体がなければ不可能なことです


真理をより知的に納得できる段階に引き上げる研究を疎かにしてしまうと結局
目に目ない霊界信仰が中心となり個人として成長した羊飼いになるのではなく
只の羊の群れで終わってしまうのです


これでは万人を納得させる真理とは言えなくなり
極東に現れた異様なシャーマニズム宗教に留まってしまうのです


文師も嘗てこう言われたことを憶えています
「自分が宗教家としての道を選ばずに物理や生物学に専念していたら
もっと多くの真理を科学的に論証できたであろう」


人間は神の直接的な実体対象です
宇宙の謎は人間がひも解いていく為の刺激的な対象なのです
盲目的な従者には進化と言う宇宙のプロセスが見えていません
神自身も常に進化発展しているから創造が途切れないのです


神話は神話として尊重しながらも
より現実的に知性の光に照らし合わせて見つめることは
神話自体を否定するのではなくより深い洞察を与える事にもなるのです
解明されていない多くのことは其れがその時代の知性に合致したとき
あらたな光の下に輝きを得ることが出来るのです


何故なら原理は永遠に在って在るものだからです
それは人間によって発見されることを待っているのです

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