天皇家に見る血統の重要性

2600年の日本の天皇制の最も重要な点は
万世一系の血統の中心が男系だということです


ここ数年論議されている独生女論の問題点は神が二性性相であるから
男女は対等の立場であるということなのでしょうが
統一思想の本性論の中で主体と対象の関係を次のように定義しています


「原相においては性形においても、陽陰においても主体の各位は上位であり、
対象の各位は下位なのである。これは結局原相自体が秩序的な構造を持っていることを
示しているのである。このような理由の故に、被造世界、即ち存在者の世界においても
主体と対象との各位に差異があると同時に秩序が定まっているのである
もしこのような各位に差異がないとすれば、すべての存在者が互いに同格となり、
互いに相手を主管しようとしたり、互いに相手の主管を拒否する事態が起こって
被造世界は大混乱に陥ってしまうであろう


韓鶴子女史は神は二性性相なのでその実体である真の父母も
同等だと言うのでしょうが、二性性相を同等と言う位置づけにするならば
二つの主体があるだけで主体と対象という概念自体が原相自体の中に
生じないことになってしまいます


物理学的にも同等なものは平衡状態が続くだけで
差異がなければ運動自体が始まらないのです


二性性相は心情における同等性を表した言葉であって
現象的には上下、前後、高低等のアングルの違う差異がなければ
まさに陽子の周りを回転する電子のような運動さえ出来なくなってしまうのです


これが初めにアダムを主体として創造し
エバをアダムに似せた対象として創造した原則なのです


全ての存在物にはそれぞれの各位があり、その位置があります
人間の細胞も生命現象的には同等ですが各位においては
それぞれが独自の役割と位置を持っています


血統の種は男性から始まるという文師の究極的な教えの由来は
主体格である男性を通して始まった神の創造原理だということなのです


「男性は神と共に種を持っており、神の代身であるが故に主体である。
女性は畑であり(対象)、命の種がない」
み言葉集54-218


「血統で残るのは父子が残る。父子関係は血統が連結されている。
アダムの息子が堕落しなかった血統さえ成されれば女性はいくらでもいます」

み言葉集318-172


「完全復帰と言うことを考える時、男性の骨肉の中に潜んでいる子供の種が
出発点となります。即ちその男性の血肉の中にある子供の種の基準までも
神様の愛を中心として一致したという条件を立てなければなりません」

祝福の意義と価値


日本の皇室が男系を中心としてきたのは
単なる男性が両方の染色体を持っているということだけではなく
創造自体において主体がなければ存在するための円運動が出来ないからなのです


愛は全ての人間に平等に与えられていますが
物理的世界は法則である原理で創造されているので必然的に
実在世界には主体と対象の原理的な秩序のヒエラルキーが生じるのです


韓鶴子女史は血統より法統だと述べているようですが
ここでも大きな間違いを犯しています


韓家のことを誇ってはならない」と言われた文師は
この神の種を最初に本然の状態に復帰した立場となる訳ですから
その種を持つ文家の男系家庭を中心としなければ
血統圏は継承されないことになるのです


韓鶴子女史は文家の血統の継承が男系を通して継続されるという
最も重要な原理観を無視しているように見えるのです


それが韓家を異様に褒め称え、直系の息子たちを追い出す愚行に
繋がっているのでしょう
また文師の功績に関しても殆ど触れることもなく
6000年の歴史は自分を迎えるためにあったなどと述べているのですから
血統の重要性が男系である長子に繋がる三大圏にあることなど関心がないのです


新元号の令和は「ビューティフル・ハーモニー」と訳されています
日本民族が継承してきた国の在り方は美しく調和された
一つの家系を中心とした民族の在り方を教えているのです


又ある人がこの「令和」にはもう一つの隠された意味があるといいます

この令に和の口の部分を持ってくると命という字になります

残った木の上を取ると 「命ノ木」となるそうです


言葉には不思議な神の力があることはヨハネの福音書を持ち出すまでもありません

まさに「言葉は神と共にあったのです」


内輪の醜態に明け暮れている統一運動が
一日も早く本来の摂理である南北統一問題を中心として
全ての力を結集するよう神が警鐘を鳴らしているように感じてなりません

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