無知は死の影

第二次世界大戦が終了して70年以上が経つ
嘗ては植民地だったアジアもアフリカも民族を中心に独立を果たした
それぞれの国の内部に複雑な問題を抱えていたとしても
嘗てない程に世界は市場経済の齎す物質的恩恵を享受するようになった


発展途上国においては確かに貧困や不平等な状態が
依然として存在しているのだが、飢餓や疫病に襲われて
何十万人、何百万人という命が簡単に亡くなる大惨事は
少なくとも乗り越えることができる
国際間の支援体制やルールが国連を中心に確立されている


21世紀が神の完成数だとする数理性がどこまで有効なのかはさておき
ファシズムもコミュニズムもリベラルな資本主義によって克服されたと
新自由主義の到来を諸手を挙げて喜んだ市場経済の開拓者たちは
その自由主義の先鋒となってグローバリズムを促進してきた


ところが此処にきてワンワールドを提唱したグローバル市場主義者たちは
内側から溢れ出す民族主義や国家主義の鬱積を前に方向を見失いつつある
トランプ現象は歴史的なことだと民族主義者たちは語り
英国がEUを脱退することに拍手喝采をする
戦後の金字塔であるリベラルな自由と民主主義が
世界市場を前にしてその限界点を露呈してきているのだ


その原因の一つが大衆と呼ばれるマジョリティーが
世界の市場化は一部のグローバリストだけが巨額の富を築き
自分たちの生活は一定の所得に限定されるばかりで
貧富の差はますます大きくなり、まさに富の共有は不可能だという事実に
気がついて来たからだ


地上の天国とはやはり不可能な夢物語なのだろうか?


統一運動は人間が堕落したので世界が混乱し闘争状態におかれたと説明する


その堕落した人間も真の父母からの祝福を受ければ
本然の人間に生まれ変わることができ
新生した祝福者による国こそが人類が希求してきた地上の天国だと信じている
その天国の実態は誰も知らないのだが・・・


では地上天国を開く鍵とは何だろうか?
人間は堕落によって神の存在と真の愛を持つことが出来なくなったので
全ての人間は神を知り真の愛を持てば天国の門は自動的に開かれるという


そしてその鍵は真の父母のみが持っているというのだ


文師のコトバによれば真の愛とは
「与えても、与えても、もっと与えたく、与えたことさえ忘れる愛」だという
その愛のかたちを体現した男女を真の父母と呼んでいる


しかしだ
子を持った経験があるこの世の親ならば
誰もが自分の子供に対してはこうした愛のかたちを
既に体験してきたのではなかったのだろうか?


子供が病気になれば親は夜を徹して看病し
経済的に子供が困窮すれば自分たちの蓄えを削ってまでも援助する
そしてその行為に対しては一切子供から見返りは持たない


これは真の愛ではないのだろうか?


そこにはどこかの家庭の様に財産を目当てに相続争いをすることもなく
貧しいながらもお互いが支え合って生きて行く
暖かい愛情が溢れていないのだろうか?


家庭連合から流れる週刊ブリーフィングを見るたびに気が伏せる
それは真の母と呼ばれる韓鶴子女史が王宮を出るたびに
取り巻きから丁重に送られ、また行った先々では至れり尽くせりの歓待を受け
王宮に帰ってくると同じように何十人もの取り巻きが花束片手に
整列して万雷の拍手で迎える


確かに大切な要人にはその通りにするのがこの世の習わしなのだろうが
それは特別な時の儀礼であって日常の家族の触れ合いには不必要なものだ


真の家庭の姿をコピーすることが氏族のメシアだというのなら
我々も氏族の面々から同じように丁重に扱われ
女王様のような歓待を期待するべきなのだろうか


真の父母を遥か遠くに崇め奉り
常に崇拝の対象者にしてしまったこの運動は
苦しみもの、悲しむものと共にいる下座に生きる精神の尊さを失っている


上下関係の順守が伝統となっているのだろう
祝福家庭にも似たような上下関係がある
それぞれの祝福年月日に応じて上は36家庭の元老を中心として
日本でも12双、777双、1800双とヒエラルキーがあり
祝福二世、三世同士の婚姻が何よりも重要視される


そこから外れた者は部外者の様に肩身が狭くなり
やがて教会にも来なくなる
信仰のエリートと失敗者の間にできる格差は
この組織の中では暗黙の了解なのだ


民族のレベルでいえば韓民族が選民となるので
それ以外の民族は異邦人だとでもいうのだろうか
韓国の文化、伝統、衣装及び言語に至るまで
信徒は選民である韓民族の文化的遺産の中に一致することを求められる


真の父母思想と言う根源的な原理は
確かに人間と宇宙の根本であることは論理的だ
しかしその真の父母の目指した理想の家庭は
ご自身の家庭においても実現はしなかった


真の家庭の分裂がカインである弟子たちが子女様を面倒見なかったので
彼らはその蕩減を受けたのだと了解されているのだろうが
子女の責任分担には決して触れようとはしない


イエスは家族や親戚からも見放されたではないか


信仰はまた見えない世界に思いを向けさせる
今や霊人となった未完成の死者たちを
絶対善霊として甦らせる清平信仰が完全に定着してしまった
絶対善霊たちはこの世の祝福家庭さえも凌駕する存在となり
「罪の欠片さえもない」というのだ


その数4800億人、今後はもっと増えるのだろう
分からないことを言いことに勝手な霊界物語が大手をふるって
信徒の知性を占領してしまっている


霊界では原理講義の修練会が常時開催されているという
アブラハムもモーセもイエスも霊的実体として霊界にいるのなら
何故聖書の記述の説明や解釈をする必要があるのか?
古代の霊人に創造原理の物理学用語の意味が解るのだろうか?


現実感覚がますます無くなり
幻想なのか妄想なのか分からなくなった信仰姿勢は
原理講論の「無知は死の影だ」という表現さえ虚しく聞えてしまう


ITに象徴されるテクノロジーの急激な発達が
AI(人工知能)を生み出し
21世紀は予測もできないような外的環境圏を作り始めるといわれている


経済もAI で統計的にデータ処理され
政治の世界もAIが理想的な政権の人事を提示し
バイオテクノロジーによってDNA や人間の脳細胞さえ変換できるという


シンギュラリティ―を超えたAIの知的水準は人間をはるかに超え
人間存在の意味さえ問われかねない時が来るのかもしれない


政府が主導したわけでもないのに
あっという間にインターネットが普及したように
AIのもたらす革命的社会はまさに想像を絶することだろう


我々はこの地上をどのように改革しようとしているのだろか?
根本的な家族体制に基づいた南北統一王国が
朝鮮半島と言う極東の一角に人類の夢の実現として本当に建設されるのだろうか?


そして文家か韓家は知らぬがその血統を持つ王様や王女様が
その頂点に君臨し季節ごとに祝賀会を開き
数々の記念日を祝うことが我々の目指す地上の天国なのだろうか?


王冠を被りきらびやかな衣装を着て
その前に万民が歓喜し億万歳をする古代王国の再来が
本当に神の創造の目的だったのだろうか?


目覚めればそこには山があり河があり
自然の美は季節ごとに変幻自在に豊饒な彩を見せてくれる
自己の思いや感情も含めて全ての相対する対象を
見つめる眼差しに憩えば
あるがままのこの世界がどれ程
光に満ち溢れているかに気が付くことができるというのに・・・

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