統一朝鮮の危うさ

分裂が終わり統一朝鮮になれば人類史に今までなかった
新しい輝くべき平和な統一国家のモデルが朝鮮半島に来るという
この文師の掲げた夢は本当に実現するのだろうか?


金正恩委員長と文在寅大統領が微笑みながら手を繋ぎ
トランプ大統領がDMZの境界線を越えて北に足を踏み入れ
肩を抱きながら親しげに話すことによって
再び韓国民の中に北の首領に対する好感度が上がったと
メディアは嬉々として報じていた


兄を無残に殺害し、叔父を冷酷に処刑するこの独裁者に対して
掌を返したように理解を示そうとする文在寅大統領の動機は
愛と許しの崇高な博愛精神に依るのだろうか?


或る時突如として北から侵略され何十万人もの尊い命が失われても
その事実を恨まずに忘れ許してあげるというのが無償の愛の姿だとしたら
確かに理想国家の精神性を備えた民族と言えるかも知れない


ところが民族が違う日本人に対しては全く相反する感情で
執拗なまでの恨みや憤怒の感情をぶつけてくる


教え込まれた一方的な歴史認識で自分たちだけの正義感を主張し
日本を許すことが出来ない民族として憎悪を煽るやり方は
北に対する寛容性とは余りにも相反する対応だ


もし同一民族だけに愛と許しの精神が適応されるのなら
統一朝鮮は世界のモデル国家になるのではなく
核を背景にした力で脅迫するモンスター国家にならないと
誰が保証できるというのだろうか


既に北は何度も日本に対して卑劣な声明を出し
脅迫するかのようにミサイルを何度も日本列島に向けて撃っている


文政権になって行われてきた北融和・反日外交の結果
日韓関係は戦後最大の危機を迎え
このままでは破綻する程の深刻な事態になっている


中国の侵略によって100万人以上のチベット人が殺害され
今も弾圧の中に生きるチベット民族の代表でもあったダライ・ラマは
国を追われ亡命する中でその中国に対して自叙伝の中でこう書いている


「十字架刑、生体解剖、犠牲者のはらわたを引きずり出したり
指を切ったりと言うことは普通だった。
ひどいときは頭を割ったり、焼き殺したり、死ぬまで殴ったり、
生き埋めにしたりすることもあった」。


このような残虐無比な仕打ちをする中国に対して
本来なら煮えたぎるような憤りがあるのは当然だろうが


「憤怒、疑念、否定的な感情を受け入れ、そこに私の愛、私の慈悲、
私の許しを与えることを常に思っているのです」と述べている


ダライ・ラマの許しは加害者が反省し謝罪を交換条件にするのではなく
仏教の無償の慈悲の思いに生きてきた精神性がそうさせるのだろうが
なかなか出来ないことである


韓国のジャーナリストが日韓の問題をダライ・ラマに尋ねた時、


「日本との対立は主に過去の歴史に関するものであって
今は侵略も抑圧もない状況の中で共に未来を考えることが出来ます
それがどれ程たやすいことか分かりますか?」と笑いながら答えたという


南北統一を実現する前にここまでの崇高な精神性は兎も角
少なくとも寛容な精神を育むことなくして統一を目指しても
本当の意味の平和を期待することは難しい

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