オモニの心の闇

原罪や独生女の問題は究極的には霊界の実相を知らなければ
本当の意味においては誰にも分かりません


宇宙創造前の霊的世界における神と天使による原理的秩序が決定され
その構想に従った創造の原理は人間を通して完成するはずでした


ところが天使の非原理的な行動によって霊界にあるべきではない
非原理圏を作ってしまい。この負の情念が蓄積された霊界を
文師はサタンの讒訴圏と表現しました


この非原理的讒訴圏を解放するために神がとった戦略が
善なる人間たちによる打たれて奪い返すという犠牲の道でした
宗教者はその讒訴圏に楔を入れながら解放への道筋をつけてきたのです


しかし根源的な原初の天使と人間との問題が何であり
悪の所在がどこにあるのか明確な回答を長い間
見出すことが出来ませんでした


文師は悪の根源は血統的なものであり
その中核は愛に纏わる問題(絶対性)だということを突き止めたのです
そしてその根源から解放されるためには人間が逆の経路をたどっていかなければ
元に戻れないという蕩減法を発見したことでした


霊界との闘いが象徴的に書かれている文章に「創立以前の内的教会史」がありますが
どのようにして本然のアダムの位置に立ったのかという血統転換の秘儀は
神の母と呼ばれる女性との関係の中から僕の僕、僕、養子、息子、夫、王と
あらゆる男性の立場を蕩減条件を立てながら
サタンによって讒訴されない「霊的メシアの花嫁の勝利圏」を確立した
と述べているだけでそれが具体的に霊界をどのように変えたかは謎です


文師はそこで闘い取った勝利圏を地上に繋げていく
救いの公式を発見したと言います
それを独特な表現で「橋を架ける」と表現しています
一人の人間の霊的勝利圏を万人に橋で繋げるというのです


そしてその復帰の中心は常に女性の復帰でした。
縺れた原初の男女間を如何にして蕩減し本然の原理軌道に戻し
絶対性を確立するかと言うことが最大の課題だったのです


天使長と神(アダム)の二人の男性格が一人の女性を中心として
天使長が抱いた嫉妬心に象徴される自己中心性を
如何に蕩減復帰するかということのために
文師が取った作戦は二人の女性が逆の立場に立って
一人の男性を中心に自己中心性の嫉妬心を乗り越える
女性復帰への蕩減路程でした


これが正妻と妾の関係として学んだエバ復帰の公式摂理でした


エバが原因となって生じた天使長の死をも厭わない愛の情を
真の愛で超えるための蕩減摂理がいかに過酷なものであったかは
ヤコブの家庭のレアとラケルの中にも見ることが出来ます


ラケルはレアを愛で屈服させる前にレアを追い出してしまいました。
一人の男性を心から愛しているときに
その男性が他の女性と関係している事実を知った時
女性の思いの中にはいた堪れない嫉妬の情が湧きあがり
男性に裏切らたような絶望的な思いに立たされます


まさに心情の中心に太い釘を打たれるような胸の引き裂かれる世界です


蕩減とはいえ、奪われた愛の悲しみや苦悩を
何年も耐え忍ぶことは至難のことです
天使長が乗り越えることが出来なかった
自己中心的な嫉妬心を「怨讐を愛する」という心情に立って
乗り越えて行こうとする若き日の韓鶴子女史の内面の葛藤は
まさに想像を絶する過酷な道だったことだけは確かです
まさにそれこそが神の恨み(囹圄の神様)でもあったからです


1960年の聖婚式からの七年間の試練は女史が
真の母になる為の歴史的な蕩減期間だと言われています
それゆえ1968年の真の父母としての神の日の宣布は
韓鶴子女史の紛れもない偉大な勝利の日だったのです
神が歴史上初めて男女の恨から解放されたからです


しかしその後、一体何が起こったのでしょうか?
韓鶴子女史の内的世界の変遷は本人以外の誰にもわかりませんが
もし今日の分裂の原因が他でもない韓鶴子女史にあったとしたら
信徒はどのように対処すればよいのでしょうか?


これまでの言動を見てみると韓鶴子女史には
まだ抑圧されてきた心の闇があるとしか考えられないのです


「私は50余年の間、何も言いませんでした。全て知りながらも黙っていたのです。
私は皆さんとは違います。生まれながらにして違うのです」
「私が歩んできた50年の歳月は忍耐し、待ち焦がれる時間でした。
皆さんはよく知らないでしょう。間違ってかけられたボタンを解いて、
再び合わせるまでに50年がかかったと言いました」


彼女の摂理に対する心の武具は無償の愛と言うよりは使命感だったのでしょうか?
使命感が中心となる信仰は愛が二次的なものになる危険性が常に伴うのです


似たような使命を果たした人にマザーテレサがいました
マザーも心に闇を抱えていたのです
そのことは以前記述しました


見捨てられた人たちを救うために生涯、奉仕と犠牲の道を歩み
敬虔なる生活を通してマザーは世の称賛を受けました


しかし与えること、尽くすことを使命感として生きて来たマザーは
最終的に精神の崩壊を起こしてしまったのです


つまり如何なる聖者であったとしても使命感のみでは限界が来るということです


人間は愛によって創造されたのですから
誰でも愛を受けなければ心は枯れていきます
特に女性は愛を受ける受動的な存在として生まれて来ました。
韓鶴子女史は文師から愛された実感はあったのでしょうが
摂理の中で乗り越えるべき最も重大な正妻と妾の摂理に対しては
愛と言うより使命感で乗り越えてきたのです。


全ての女性は原理的には正妻に対して妾の立場になります
これが復帰の基本的な蕩減法だからです
祝福はその象徴的な心情復帰の儀式です
ではオモニにとっての真の母に至る為の摂理はどこにあったのでしょうか


それが聖婚式を中心とした時代のもう一人の女性との間における
「実体的メシアの花嫁の勝利圏」としての心情復帰にあったのです
堕落圏から復帰されたエバを象徴する女性は崔元福氏でした
オモニはそこで真の母として実体的に復帰するべき
心情の八段階が残っていたのです


そのためには使命感だけではなく愛によって完全復帰をする必要があったのですが
残された文献や側近の話を聞くにつけオモニは崔先生を
心から愛したという基準を勝利出来なかったというのです


それは子女様たちの崔先生に反発する姿にも見ることができるし
何よりも韓氏の母親が崔先生を背後で追い出すように画策をしていたからです


人類の母としての心情がどれ程豊かで大きいものなのかは
想像でしか分かりませんが
愛の葛藤を心の中に閉じ込め抑圧してきた女史は
晩年の文師との関係の中にその葛藤が恨みとなって現れて来ました。


オモニがいない」と悲しげに叫ばれた文師の言葉が
そのことを伝えているのです


この心の葛藤が文師の逝去後に金孝南の「霊的な惑わし」と絡んで
文師には原罪があり自分は無原罪で誕生した」という
独生女論が入り込む余地を生んでしまったのです。


まさに原理観がひっくり返ってしまい、その後はご存知のように、
見事なまでに文師の功績さえも語らなくなり
自分が歴史の中心たる独生女だと主張するようになったのです


三代の純粋な韓家がメシアとしての資格だという勝手な理論を構築して
韓家の栄光を強調し始めた女史の心の闇は家族関係の中にも現れました


自分がイエスと並ぶ唯一の無原罪の生まれなので
完成した子羊の宴の実体聖霊は自分であるとして
聖霊の実体である自分を穢すことは許されない」と
子女様たちにも服従を強要し命令するようになったのです


文師が築いた三代圏は本来の意味を持たなくなり
血統より法統が重要だという新しい原理観が堂々と語られるようになったのも
子羊の宴としてイエスと自分との勝利圏が確立されたと信じているからです


霊の世界はこの世の何に増しても熾烈で恐ろしいところです
権力や地位に固執し無償の愛が身につかない者には決して分からない
巧妙な罠のような世界です


文師のみ言の武具をつけ謙遜と感謝の心情をもって
物事を正しく判断できる良心の力がなければ
如何なる人間も乗り越えることは出来ないことでしょう


統一運動の分裂は韓鶴子女史の隠された愛の恨みが
心の闇として残りそれが讒訴条件として分裂する要因になったのです


霊的イエスの相対に立つ韓鶴子女史
イエスの使命を引き継いだ文師は実体的な家庭を作るも
イエスと韓鶴子氏が相対となった秘密の結婚式が
摂理の最終的な場面で全ての主管性を転倒してしまったのです


このことに気が付いた文師は
韓氏族を自慢するな。それをしたら真の母になれない。
お母様は妖怪のように自分の道を行っている。
お父様と同じ道を進んでいない。・・・この悪党たち
お母様に従い、お父様はいらないと考える者は根のない妖怪だ
お母様の言うことを聞けと言うのはルーシェルよりも恐ろしい」

と嘆息されたのです

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