変わってしまった統一運動

弱い者が弱い者を食い、弱い者が更に弱い者を食い、更に弱い者を
見つけだせない者は、強い者のお情けによって生きるかのように見える
世界や社会に生きていて、自分は人を食って生きて行きたくはないと悩み
苦しんだ末、断食を重ね、死を感じながらのある日
遠くに聴こえた赤子の泣き声が止んだことで
母乳を飲む赤子、与える親との関係から赤子は争いの種を持たない
平和な食物によって生かされていることに気づくのです


そこから一念発起した西田天香は
よし赤子のように生きよう、生死は大いなるものに委ね、自分は無一物から
生きようと決意する生活が始まったのです」


一燈園を開いた西田は争いのない生活、懺悔の生活、下座に生きる生活を通して
「人は争わなくても、許されて生きることが出来る」と言う


師観さんのブログに初期の統一教会のことが書かれていました
パンの端をもらい。八百屋から残り物の傷ついた野菜を分けて貰いながら
貧しい中にも讃美歌を歌い理想と愛に溢れていたのが初期の食口たちでした


その青年たちの純粋な眼差しに日本の未来を見たのか
時の宗教家も、政治家も財界の指導者も感動して応援してくれたのです


明治維新を成功させた中心人物の一人である吉田松陰も
新しい国造りは教育にあるとして松下村塾を起こし
そこから新しい日本の夜明けが始まったことは
誰もが知るところです


あの時の食口たちが時代の先駆者として人格を磨き
その精神をもって社会に出ていれば
きっと世の光となっていたかも知れません


5万、50万の伝道を復帰できなかったので
万物を復帰する摂理に変わったと言われ
K体制からF体制になることによって
日本の統一運動は愛の人格者という
霊性を高めることからお金を稼ぐ物質偏重主義になってしまったのです


神が準備した箱物は既に出来上がっているにも拘らず
そしてその形あるものに命(精神)を注入するだけで良いのに
朝から晩まで経済復帰の為に狂ったようにお金を稼ぐことが
運動の中心になってしまったのです


結果は日本には何も残らず異様な霊感商法の集団として
公安に要注意団体として見られるようになったのです


祝福二世たちも社会に出て堂々と統一教会と言うこともできなくなり
せいぜい理想家庭を目指す家庭の連合体です
などとしか言えないのが現実なのです


経済復帰によって大きな恩恵を受けたのは韓国でした
全ての人間を救うために下座に降りるどころか
今では王宮に住み最高の環境に恵まれ
女王様生活をしながら真の母だと言うのです


一番苦しいところに心情を寄せ生きるのが母なのに
上から目線で
「私を誰だと思っているのですか?」
「宇宙の母、真の父母です」
「孝情を示しなさい」
「絶対服従、私を穢す者は許されません」

たとえそれが自分の息子であったとしても・・・


「お父様聖和七周年を迎えるのですが、お父様は完成することが出来ませんでした。
そうでしたか?そうではありませんでしたか?どうして返事が弱いのですか?
独り娘真の母がいるので、お父様が成すことが出来なかった責任を私が完成して
差し上げるのに何が問題と言うのでしょうか?
・・・真の父母の最後の祝福を受ける位置に立つことが出来ない真の子女は
責任を果たせなかった過去、失敗したアダムとエバと同じ立場です
わかりましたか?
私は独り娘、真の母、宇宙の母です。


これが最近のお言葉だそうです
いつも変わらぬ二つのこと
私は宇宙の母、あなたがたは責任を果たしなさい」


各自がどのように受け取るかはまさにそれこそが責任分担なのでしょう


最後に一句


遥かなる
遠きに消ゆる
若き日の
輝く光
今は懐かし

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