神の望む韓国 その2 本当の克日

1. 徴用工に対する賠償がまだ足りないのではなく
今請求しているのは慰謝料である
慰謝料とは被害者に対する謝罪の気持ちである
2. 慰安婦合意を破棄したのは金銭ではない
心からの謝罪である


これに対して
「日本国の首相として改めて心身に渡り癒しがたい傷を負われた
全ての方々に対し、心からのお詫びと反省の気持ちを述べます
」と
歴代の日本の首相は賠償金や手紙を添えて何度も謝罪の意を表明してきました


こうした対応にも拘わらず同じことを執拗に繰り返えす韓国に対して
堪忍袋の緒が切れたというのが今回の日本なのでしょうが
では何故こうしたことが何度も繰り返され、ことあるごとに
謝罪を要求するその思いは一体どこから来るのでしょうか?


「加害者と被害者の関係は1000年たっても変わらない」
                   朴槿恵前大統領


「慰安婦問題の解決においても加害者である日本政府が『終わった』
と言ってはいけない。私は日本に特別な待遇を要求しない。
只最も近い隣国らしく真実の反省と和解の上で共に未来に進むことを願うだけだ」

            「3・1独立運動」記念式典での文大統領の演説より


事大主義「大きなものに事(つかえる)」とは勢力の強いものに追従して
自己保身を図る態度のことを言います
地政学的には背後に「大きなもの」中国とロシアが常に朝鮮半島を脅かしていました


特に中国に対しては国力の差が歴然としていたので
闘うというより従属するしかなかったのです
そればかりか仏教も儒教も中国の影響を受けた韓民族は
精神的にも彼等を上位に位置付けてきたのです
ところが日本に対しては仏教も儒教も朝鮮半島を通して伝わったと
思い込んでいるので自分たちよりも下位に見たいのです


上位である中国からの侵略や圧政は仕方がないとしても
下位にある日本からの侵略には決して許せないという情緒が
韓民族の中にあるので今の日韓問題を複雑にしているのです


ミサイル防衛の為のTHAADを導入しようとした時
中国から受けた経済報復は今の日本の比ではありませんでした
しかし一度として不買運動もNO CHINAもロウソクデモも行わないのです


上位の中国からの支配に対しては劣等感としての恨が
下位にあるはずの日本からの支配は優越感を否定される
恨なのです


文在寅政府が3・1運動を国の独立記念日にしたいのは
日本の植民地支配に対する独立運動を通して
何千年にもわたる中国王朝の柵封体制の中
属国として朝貢してきた従属体質を変えたいからなのです


そして自分たちの誇りある民族の力の原点を見いだし
「こうありたい民族からこうあるべき民族」へと転換したいのです


ところが韓国ではこうありたい状況がその通りにならないので
いつも掛け声だけのちぐはぐな外交になってしまうのです


本来、独立運動とはどこの国においても
生死をかけた民族の血の代価の上に成し遂げられるものです


では韓国の独立は自らの手でかちとったのでしょうか?
事実は日本の敗戦と共に棚から牡丹餅のように与えられたものです


上海に臨時政府を樹立したといくら叫んでも
実際に武器を取り、日本と独立戦争をしたわけではありません
其ればかりか日本の併合によって李王朝の腐敗した体制が終焉し
新しい近代化への道を歩み始めるきっかけとなったのです


摂理的に言えばメシアを迎えるためのキリスト教の土台を
復興したのは日本組合キリスト教会によってなされた布教でした
彼等の宣教活動によってキリスト教は瞬く間に朝鮮全土に広がり
平壌は東洋のエルサレムと呼ばれるようになったのです


日韓併合の肯定的な政策を認めてしまえば
民族が本来持つべき自尊心や誇りが瞬く間に萎んでしまうが故に
何としても数少ない独立運動家の抵抗運動が国のはじまりだとして
独立運動家を称えるしかないのです


驚異的な経済発展をした漢江の奇跡が
日本からの莫大な援助金があったからだ
などとは間違っても言えない理由もそこに在るのです


恨の文化とは劣等感と優越感が表裏一体となった文化のことです
悲哀と苦悩を持つ民族は常に誰かに認めてもらい
その存在価値を否定する勢力には謝罪をしてもらいたいのです


似たような歴史がローマの属国だったイスラエルでした
イエスの民族を統合する鍵となるメッセージは
隣国ローマに対する謝罪を求めることではなく
汝の敵を愛する」ことでした
怨讐を克己するのは許しと寛容だったのです


そのイスラエルが選民としての位置を失ったのは
隣人を愛するどころかその中心人物のイエスを磔刑にしてしまったからです


もし神の摂理が今も南北統一を中心とした韓国にあるとすれば
被害者意識に留まり謝罪を要求することだけに団結し
恨を乗り越え怨讐を許すことが出来なければ
まさにイスラエルと同じように
亡国への道を歩むことになるのです


不屈とされた強大なローマ帝国が何故キリスト教に屈服したのか
それは恨を超えた愛と許しの精神があったからです


日本が敗戦の何もない状態から必死で働き
絞り出すようにして韓国に支払った賠償金には
涙と汗の結晶が含まれているのです
其れこそがコトバには出さずとも謝罪を込めた
実体的なお詫びなのです


他国を支配したことは許されることではありませんが
歴史はどこかで和解とお互いを認めることが出来なければ
未来に向けて同じ立場で出発することは出来ません
千年たっても加害者と被害者の関係は変わらないという言葉には
愛の本質が何であるのかを理解できない民族だということになってしまうのです


統一運動も長期にわたって日本の信徒だけに際限のない献金をさせ
まだまだ蕩減(謝罪)が終わっていないというだけでは
今の韓国と大差がないのです


「反日でも抗日でもない克日である。
そして誰も揺るがすことの出来ない国
新しい韓半島の扉を切り開くのです」


文大統領の光復節での演説が劣等意識の克服ならば良いのですが
二度と日本には負けないなどと優越感を鼓舞するだけではなく
本当の意味での愛と許しの精神で韓半島を統一してもらいたいのです

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