真の母の使命とは

ある人のお母様の自叙伝を読んだ感想です


1992年に 1年間かけて 世界130カ国で講演を行いました。
韓国を立つ時 それぞれの国や気候に相応しい服を
何着も準備していったのですが帰って来た時は一着も残っていませんでした。


一年ぶりに帰ると文総裁が「ご苦労様」と言いながらふと尋ねました
「ところで結婚指輪はどこへいったの?」
私は自分の手を見ました。
日本に行く時は着けていたはずですがいつの間にかなくなっていた事に
その時になってきがついたのです。


「指輪 ありませんね 誰かにあげたのでしょう」
「誰にあげたの?」
「誰かにあげたのですが 思い出せません受け取った人が大切に保管しているか 売って生活の足しにすることでしょう」
「あげたのはいいとして 誰にあげたかも覚えていないの?」


私はいつもそうしてきたのでたいしたことではないと思いました
私達夫婦は聖婚式は挙げたものの新婚旅行には行けませんでした
私はそれを気にしていませんでしたが文総裁はそれをずっとすまなく思っていた様です


世界巡回でオランダに立ち寄った際
それまで節約に節約を重ねて貯めたお金で
思い切って小さなダイヤの指輪を買ってくれたのです
その様な思入れのある指輪を私は誰かにあげてしまった上
そのことを覚えてすらいませんでした


私は与えるのもためらいなく与えますが
与えると同時にそのことを忘れてしまいます。
自分の持っている物を与え 愛を与え 命までも与えても忘れる人が
神様の一番近くに行くことができるのです


自叙伝 人類の涙をぬぐう
平和の母 第四章 茨の道を越えP185~186より


この文章を読んだ時、誰もが思うのは
「愛は与えて忘れなさい」というお父様のみ言でしょうが
この自叙伝の中にはこうした美談がこれでもかと言うほど記載されています


他にも孝進様の偉大な作曲能力や親に孝行する姿が美しく書かれていますが
最初の長男として期待されて生まれたにもかかわらず
麻薬や不倫という反原理的な放蕩生活に耽溺する息子によって
多くのアメリカの兄弟たちが真の家庭に失望して離教していったことは
一切書かれていません


本当の自叙伝ならその息子の荒れ果てた心を母親としてどのように更生させ
乗り越えて行ったのかという姿が描かれていればもっと心を打つはずです
私にはお母様を賛美し神格化するための本にしか見えませんでした


引用終わり


1970年代に文師が英国に拠点を構えていた頃
側近の金元ピル先生と英国の教会長だったデニス・オーム夫妻が
英国摂理の全体指揮を執っていました


或る時 金先生の部屋に招かれた時
部屋の隅に積まれていた大きな段ボールの箱が目に入ったので
何が入っているのですか?と尋ねると先生はニコニコしながら
開けてその中身を見せてくれました


箱の中には手紙や日本の食口が折った鶴など
小さな手作りの贈り物がぎっしりと入っていたのです
先生は穏やかな口調でこう言いました
「これが私の宝物なんですよ。この一つ一つには
食口の皆さんの真心が入っているので皆さんにも上げられないし

捨てられないのです


愛する人へ真心を込めて贈ったものはその人の愛の分身のようなものです
それを貴重に思い大切にすることが何よりも
その人を大切にするということなのだと教えられました


ダイヤモンドの形が問題ではなく
それに込められた「節約に節約を重ねた」心情が全てなのに
私は与えて与えたことも忘れてしまう」と語り
与えた人の心情を無視するかのような愛の形を
文師は教えたのではないのです


何着も持って行った洋服もなくなってしまうほど全てを与える
この表現に、もし「与えた後は、私はわずかに残った衣類が擦り切れるまで
着用し続ける慎ましい生き方に徹していました・・・」こう書かれていれば
そこに本物の姿を感じるのですが日本滞在中は各地区の教会で
お母様の為にと新品で高価な衣服を婦人部長が中心となって
準備していた事実など普通の信徒には知る由もないことです


愛する人から贈られたものは
それがただの石ころであったとしても大切にすることが
贈った人に対しての最高の愛の表現なのではありませんか


高校生の頃、初めてアルバイトで得たお金で母に洋服をプレゼントした時
母は心から喜んでくれました
母はその洋服が擦り切れるまで何度も着てくれたことを忘れることができません
私はその洋服を着ている母を思い浮かべるたびに
母の私に対する愛情を今でも思い出すことができるからです


文師の言葉を巧みに使いながら
あたかも愛を与えて与えたことも忘れるという作られた虚像は
いつかは蜃気楼のように消えていくものです
最後まで残るものは本当の愛の心情を忘れずに大切にすることだからです


文師亡き後、お母様を立てて組織の維持を図ろうとする意図もわかりますが
保身の思いに憑かれた人間は必ず時がくれば真実の前にその虚偽性が
あらわになってくるものです


母の最大の貢献は血統の実りである子女なのです
その子女が親に代わって逞しく成長した姿を見つめ
背後で支えていくことが真の母の使命ではないのでしょうか?

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