今は掛け声だけの集団

人間は誰もが平和で共に助け合う理想の世界を願うのですが
実態は戦争や殺戮、闘いの連続で人命は虫けらのように奪われてきました
問題は理想的なビジョンや平和について語ることは出来ても
それを実現することがなかなか出来なかったことです


神を中心とすれば本当に世界平和は実現できるのでしょうか?


アメリカの大統領は聖書に手を置いて


「私は合衆国大統領の職務を忠実に遂行し、全力を尽くして合衆国憲法を維持、保護、擁護することを厳粛に誓う」と神の前に宣誓します


また16世紀にカトリックから分離した英国王室のエリザベス女王は
英国国教会(アングリカン・チャーチ)の最高権威者の位置にあるのです
米国も英国もキリスト教的価値観の土台の上で
神を中心とした国家を治めているともいえます


エリザベス女王を尊敬し、国民がどれだけ敬愛し侍っても
真の母の祝福を受けなければ神を中心としていることにならないと言うのであれば
言葉で語るだけではなく実体で示すべきなのです
真の父母を中心とした祝福家庭のこの天一国共同体を見なさい!」
これこそが本当の宣言であるべきでしょう


人間は今までにも様々な社会共同体を形成してきました
実験的なコミュニティーは今でも世界各地に展開されています
その中には拡大された家族や親戚のように見知らぬ同士が
協力し合って相互扶助の精神で共同生活をしている人たちもいます
彼等は「真の父母を中心とする」という宗教的な教義はなくとも
愛を中心としてお互いを認め合い助け合いながら平穏な生活を続けています


ところが世界一大家族理想を掲げる統一家には祝福家庭の実態はあっても
共同体の核になる祝福家庭に対しての相互扶助もなければ
お互いの生活を共有できるようなものはありません


運動の全ては外側に向けられた摂理と言う名前の大会や行事があるだけで
一向に理想は自分たちの周りには築かれていないのです


信徒から金銭を集めることが摂理になり
聖本も先祖解放も祝福も全てはお金での売買なのです
聖書が天聖教のように何百万円で売られたことがあったでしょうか?
み言は人格の成長の為のツールなのに何を勘違いしていたのでしょうか?


各国の指導者を集めて具体性のない話をどれ程、演説しても
自分たちの家庭や所属する組織、団体を実証として
示すことができなければ理想国家も理想世界も実現出来るわけがありません


理想は上から降りて来るものではなく
自分たちで下から積み上げるものだからです


これまでに数多くの事業体を起こしても
殆どはこの世の企業と何ら変わりなく
特別に目を引くような経営システムがあったわけでもありません


其ればかりか社員を低賃金で雇用し
会社の将来を見据えた設備投資をする経営のノウハウもなく
また社員の生活を保障する福祉制度もいい加減で
収益が上がるたびに経験もない韓国の幹部が上司となって
経営をするわけですから業績が悪化するのも当然のことだったのです


多くの事業体が赤字決済を計上してもその都度
日本から送られてくる損失補填の為の献金制度だけが
特別と言えば確かに目を引く特殊な経営だったのかも知れません


文師の息子たちが経営学を学び
赤字企業の立て直しを図ったのは当然のことでした
ところが経営破綻をした事業を売却すれば勝手に売却したなどと騒ぎ立て
経営の実状が分からない文師が間に入ってしたことは
我が子を諫めることだったのです


こうした既得権益を持った一部の幹部たちの抵抗が
分裂の原因になったことは教会の幹部たちはみんな知っているのです


彼等は天一国が地上に完成するかのような美辞麗句を語り
経営感覚の無い韓鶴子女史を持ち上げて巧みに利用しているのです
その証拠にどこにも天一国と思われる共同体もなく
そのモデルさえ見つけることが出来ません
氏族メシアも実際の生活共同体ではなく中心者だけが栄誉を受ける
名前だけの氏族社会です


統一運動の停滞はその共同体を実際に始めようとしなかったことです
「真の父母に侍ること」
それを念仏のように唱えることに意義を見つけていたのです


労働者を束ね貧困層を救済するという運動が
社会を激変させた共産主義は少なくとも彼等の理論を社会化させたのです


自由・平等・博愛の精神を社会化させたフランス革命も同じです


真の父母思想による世界一大家族運動は祝福家庭を中心に氏族、民族
国家へと新しい社会体系を実体で示すことが本当に出来るのでしょうか?


社会共同体へのビジョンの必要性 - 恩寵と感性
氏族メシアと共生共栄共義主義 - 恩寵と感性

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