原理主義者の限界

英国の王室のチャールズ皇太子は70歳の誕生日祝いの場を
エリザベス女王から設けてもらったとき


「私も70歳になり母からこうして誕生日を祝ってもらいました。
でもバースデーケーキに立てられたロウソクが吹き消す息によって
倒れ始めるのは70歳からです。私の母もその瞬間を目撃しています」


自分のちょっとした不注意で起きた怪我がニュースになったことをもじって
こうした何気ない言葉の中にユーモアを入れて参列者を和ませるのです


人生は原理原則に嵌ったものではなく
余裕を持った笑いや喜びが何よりも大切であることを教えてくれます


原理主義者とは上層部から言われたことをそのごとくに従い
真似ることが真理だと思い込む人のことを言います
自分が教え込まされた知識以外には頭脳が回らないので
その許容範囲を超えると誤解し馬鹿にされたような気分になり
行きつく果ては怒りに駆られて暴力的にもなるのです


このようなことは以前、松濤本部前での反対派に対する
異様な罵り方をした某氏にも見られました


心情や愛という豊かな精神性を高める為に献身したにもかかわらず
上からの指導や通達だけに翻弄されると思考停止状態に陥り
本質を見誤ることは多々あることです


宗教の儀式や伝統は内的本質を象徴する外的行為ですが
一旦その宗教の教える儀礼に染まってしまえば
儀式が習慣化し本質が見えなくなってしまいます
宗教の内的本質を体恤すれば宗教も必要が無いと言われたのは
他ならぬ文師でした


教祖を中心として一丸となって走る「宗教の時代は終焉した」と言われて久しいのですが
依然として組織の責任者を神格化して侍る伝統は消えていないようです
「誰誰様がこういった」という言葉を発する限り
権威主義は如何なる組織にも当てはまることになります


正午定着とは原理主義ではなく神主義のことです
もっと具体的に言えば愛主義であり
愛は対象に心情を添えることですから何よりも相手の事情に沿って
その人の悲しみや苦しみに心情を添えていく時に
悩む人の心が解放され溶けていくものです


原理主義者は言葉や権威を強調します
神主義は相手を尊重し認めるので自由と解放を与えるのです


「エデンの園に宗教はありませんでした。国はありませんでした。
ですから宗教を片付けてしまうのです。
この宗教が、カイン・アベルで血を流すようにしたのであり、
そこに相対するつまらない文化に乗って世界を支配しようとしました。
それは違います。文化は正午定着し、昼の時間になって
影がなくならなければならないのですが、
歴史と共に正午定着していない文化が広がり、
その文化にそのまま乗って自分の所有権を継続しようとしたので、
統一教会がここに引っかかっています。
」2008・4.6ハワイにて


「統一教会の使命が終わることにより、宗教の使命が終わり、
人類史上初めて宗教を必要とせず、救援を必要としない時代へ入って行くのです。
家庭連合は家庭を理想家庭に作り上げて、神様の創造理想を復帰完成し
天的理想世界を立てるのです
」1997・4.8韓国にて


家庭の連合体これが最終的な共同体の基盤になるのなら
まず自分の周りにいる無数の人たちの事情の中に入って行くことが
氏族メシア運動ではなかったのではないのでしょうか


それは原理も非原理もなくあなたの日常に出会う人たちと共に
メシア運動は既に始まっているということです


悲壮感も時に必要でしょうが
非常時であればあるほど指導者は地に足をつけ現場の声をよく聴き
余裕を持って運動を支える立場に立つべきです


ユーモアを混ぜてスピーチをする英国の王室の伝統は
国民を尊重するが故に心を和ませてくれます

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