韓鶴子教と血統転換 その1

2020年11月11日の清平修練苑で牧会者を前に語られたスピーチを読みながら
一体こうした考えはどこから来るのだろうかと改めて考えさせられたのですが
新しい韓鶴子教が始まったのだと思えば残念ですが妙に納得が行きました


「私は60年耐えて待ってきた」
「あなた方は私が独生女だといった時、受け入れなかった」


今回も同じように古い元老や牧会者たちを前にして叱責したようですが
文師亡き後は誰にも気兼ねをする必要がなくなったのでしょう
まさに自由奔放に自分の考えを直接語り始めています


「メシアの責任を持つ人は独生女に会わなければならない。
独生女に会う前に自己を中心とした判断で仕事を広げてはならない」


これはイエスの公的生涯のことなのでしょうか?
それとも二度にわたる結婚に失敗した文師のことを諫めているのでしょうか?
「北朝鮮に行ったのは独生女に会う前に結婚したことへの蕩減だからだ」
という今までの言動から見れば自分の夫のことなのでしょう


無原罪として生まれたイエスが何故罪なき神の独り子と生まれたのかを
文師は聖書のタマルとマリアの行為を中心に血統転換の秘儀があったことを明かしました


ところが聖書には独生女を迎える話はどこにも記載されていないのです


韓鶴子教祖の血統転換の説明は
「私は母胎からです」と言うだけでその根拠に
三代にわたる女性の信仰が条件となったと言うのでしょうが
蕩減復帰や血統転換と言う原理観がありません


「私は誰からも教えてもらっていないが、全てを知っていたので
真の父母の位置に自分から行ったのだ」
と豪語し
「文師の原罪も自分と結婚することによってなくなった」と言うのであれば
2000年前もそれに該当する女性がいたのでしょうか?


無原罪のアダムがイエスならば
無原罪のエバとは誰のことだったのでしょうか?


またその論理で行けばイエスが十字架で亡くなっても
独生女さえいればほかの人物を立てて子羊の宴が持てたと言うことになります
それともイエスは十字架で死ぬために来て、子羊の宴をするためには
二千年間待たなければならなかった理由が他にあるとでも言うのでしょうか?


独生女だけが6000年間待たされたのであれば
二千年前のイエスの摂理とは何であったのかと言うことになってしまいます


神と一問一答できると言う韓鶴子教祖は二千年前の独生女の存在を
原理的に説明しなければなりません


翻って文師の説明ではアダムが先に創造され、エバはアダムに似せて創造されたので
復帰もアダムがエバを再創造すれば良かったのだと明確に説明しています


ところが韓鶴子教祖は母が最初にいなければ人間は生まれないという考えなのです


「お父様の多くのみ言葉の中で、精子の道、こんな話もある、
生命が誕生する上で、精子数万匹が出てきても卵子に会えなければ意味がない.
そうなの、そうじゃないの?
こんな簡単なことも分からない無知な人が多い、この、科学的に証明されたことなのに。


生物学的に言えば確かに正解なのですが、しかし聖書では男性が先なのです


もし韓鶴子教祖が科学的にと言う言葉を使用するのなら
聖書と科学を混同している原理講論自体が問題視されます
何故なら堕落論は科学ではなく聖書の神話的且つ霊的な解釈だからです


精子と卵子が合体して生命が生まれると言う学術的な観点を強調すればするほど
アダムとエバにも精子と卵子を持った肉親がいたことが否定できなくなってきます
つまり何を持って人類の出発だと言うのかと言うことです


進化の途上における生物がどのようにして二性に分かれたのか
単細胞からどのようにして多細胞の二性にいつの時点で
どのようにして分裂して行ったのかは未だ謎の部分だからです


最も現代のゲノムの解読によって細胞分裂の周期を調節する遺伝子が
多細胞化の原因であることが次第に分かって来たようですが
そのことに関しては今回は言及しません


アダムのあばら骨を取って女を造ったと書かれている
聖書を土台とした原理が文師の教えの基本的な存在論です
この原則によって復帰も再創造原理として男性が先になり
女性は男性によって再創造されると言う理論に繋がってくるのです


しかしこれはあくまでも聖書と言う神話から読み解く
人間存在論だと言うことを冷静に理解しておく必要があります


神話と生物学を混同すると全てが混沌として
理性と信仰の狭間で何が真理なのかが見えなくなってしまいます
人類の誕生に関して私は自分なりの進化による生物学的見解を持っていますが
それに関してはいつか天使論として別の機会に私見を述べるつもりです


韓鶴子教祖は神は二性性相なので天の父だけではなく
母もいることを強調して神を天の父母様と呼び変えました
鶴子教祖が強調したいことは神の中においては二性は全くの平等だということを
言いたいのかも知れません


言動の端々に夫や息子たちを貶し、また最近の彫刻像を見ても
男性中心主義に反感を抱いていることだけは確かだからです
おそらくこれは父親無くして育ったご本人の成長過程の体験からきているのでしょう


儒教の教えが強い韓国では男性中心の考え方が伝統ですから
女性はいつも下に見られる傾向がありました
文師も幼少時は儒教を学んだのでその影響を受けていることは
振る舞いや言動、人事や組織編成においても明らかです


60年間耐えて来たと言う言葉の裏にはこうした
自分が受けてきた儒教的な男尊女卑に対する抵抗もあったのでしょう
それが「ずっとひたすら耐えて来た」と言う呪詛にも聞こえるような
表現となっているように思えます


「真の父母の摂理において真の父母が人類の祖先だ。天の父母様が一緒にいらっしゃる
であれば天の父母様の上に何らかの祖先がいる?正しく知らなければなりません
皆さんがこんがらがってはいけない。真の父母は永遠だ。これを正しく整理できずに行かれた方がお父様であるため、変な息子が出てきた。今後摂理の完成モデルは独生女、真の母だ」


ひたすら永遠の真の父母は唯一であり他にはないと言うことを主張していますが
要するに文師は明確な平等感を持って女性を正しく理解していなかったから
変な息子が出て来たのだと言っているのです


しかしこのことによって従来の原理観が180度転換することになるのです


続く

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