韓鶴子教と血統転換 その2

「真の父母の摂理において真の父母が人類の祖先だ。天の父母様が一緒にいらっしゃる
であれば天の父母様の上に何らかの祖先がいる?正しく知らなければなりません
皆さんがこんがらがってはいけない。真の父母は永遠だ。これを正しく整理できずに行かれた方がお父様であるため、変な息子が出てきた。今後摂理の完成モデルは独生女、真の母だ」


ひたすら真の父母は永遠であり唯一であり他にはないと言うことを主張していますが
要するに文師は正しい完成モデルの平等感を持って女性を理解していなかったから
変な息子が出て来たのだと言っているのです


二性性相における平等とはあくまでも愛における概念であって
実体存在にはそれぞれの役割や各位があります
独生女論に欠けているものは存在における各位性です


各位とは平等概念ではありません


各位とは、主体と対象間の位置を言うのであり、主体と対象との位置が同等ではなく
差異があることを顕す概念なのである」
 統一思想・存在各位


陽と陰
主体と対象
上下前後


「陽陰においても主体の各位は上位であり、対象の各位は下位なのである。
これは結局、原相自体が秩序的な構造を持っていることを示している」

統一思想・存在各位


上記のように各位は原理的な位置関係であり
この違いこそが存在の多様性を生んでいるのです


各位によって創造された宇宙の秩序が堕落によって脱線したことが
非原理世界を生み出したと言う文師はその状態を元に戻すためには
堕ちた経路を逆に辿って戻るという蕩減復帰という原理を見いだしたのです


祝福の血統転換儀式も堕落と逆の経路を象徴的に辿ることによって
元の状態に戻ると言うのが本質なのです


独生女論はこの原理の本質である血統転換の解釈が反対なのです


確かに女性が男性を産むのですが
それは種を胎中で育てるだけであって
男性の種(血統=心情)を変えたことにはなりません


「完全復帰と言うことを思う時に、男の骨肉の中に潜んでいる種が出発である。だから、その男の血肉の中の原因の基準まで、神の愛を中心として一体となった条件を立たせなければならない。そこを通過しなければ、これは完全な血統転換の基台を造ったと言う条件が満たされない」
血統的転換


文師が強調する血統転換とは心情の転換であり
その種は主体である男性がまず完成することによって
主体であるアダムの愛を対象である女性が受けること
(真の愛で愛されること)によって本然の状態に戻ることが出来ると言うことなのです


各位の違う、能動性を持った男性と受動性を持った女性が
祝福を受けて結婚することによって救いを完結するためには
男性の種である心情が何よりも先に神の愛と一体となること鍵だと言うのです


「今日までの復帰の歴史における中心の問題は
神の愛の復活路程を辿ってきたと言う結論になる。
その目的は何かというと、堕落以前の人間の体とその良心の中に臨在する神。
その神の愛によって、一つになることを願ってきたと言うんだね。」
血統的転換


原罪とは真の愛で愛されなかったことが堕落です
それゆえメシアとは何よりも真の愛の心情を持つ者でなければなりません
その真の愛を身をもって実践したのがイエスでもあったのです


もし独生女が原罪を解消するというのなら
文師をどのようにして無原罪の立場に変えたかの原理的説明が必要となります
ある会合では「お父様は原罪を持って生まれたじゃないですか、
もし原罪なく生まれたと言うのなら、お父様の兄弟たちもみなそうでなければなりません。彼等は原罪があるではないですか」

これは原理的な説明とは言えません


祖母や母親の信仰によって血統が転換されるというのなら
独生女を迎えるために二千年もかかる必要がどこにあったのだろうか?
と言うことにもなります


「私は母胎からです」という独生女の母胎の種とは誰なのでしょう
韓お母様の父親の種は讒訴のない真の愛の種だったとでもいうのでしょうか?


ここには血統転換の原理観である逆の経路を辿るという
復帰の心情的プロセスがないのです
祝福も罪の解放も私である宇宙の母に依らなければならないと言うのなら
その根拠を示すべきなのです


真の父母教を造れと言った。そうしたら、それが出てきた。ところが、見るとこれは違う。これはお父様の日記だ。これではない。教典ではない。それでもう一度してみろと言った」


「今後摂理の完成モデルは独生女、真の母だ」


晩年になって
「お母様は全てを破壊したルーシェルよりも恐ろしい」と叱責し
「オモニがいない」と嘆かれた文師は
既に今日の混乱に薄々気が付いていたのかも知れません


「先ほど、本部長がこの国の政治家たちが真の父母の前に来てひざまずいて
油を注いでくださいと言う環境を造らなければならないと私が話したと言ったでしょう?
聞いたでしょう?・・・それを誓う皆さんになるの?(はい)
・・・それで私が皆さんに其の責任を果たすことが出来るように
430万ウオンを与える(拍手)…わかりましたか?(はい)
しますね?(はい)・・・拍手、拍手」


この世の神は常に自分が中心となります
こうした韓原理(反原理)を背後で操る人たちを教権勢力と呼ぶようですが
彼等は信徒を教育してきた責任者たちでもあるのです


霊的に惑わされてしまった韓お母様を放置し
原理に対する理解の誤謬を知りながら信徒に対しては真実を隠蔽して
ひたすら謙虚に侍る姿勢をみせているのでしょうが
「オモニはルーシェルよりも恐ろしい」と言う言葉をどのように理解したのでしょうか?


何が正しいのか
そしてどこが間違っているのか
下記のみ言葉を読み、最後にその判断をするのは結局、あなたなのです


「堕落による歴史の糸のもつれは、それを解いて再創造することなどとてもできそうには思えないほど複雑なものとなり。神でさえどこから手を付けて摂理するか戸惑うほどです。……….あなた方は何も知りません…….なぜなら自分自身の歩んだかかる苦闘の40年路程は、二度と誰にも味わってもらいたくありませんし、息子や娘たちにはできるだけ優しい道を残してあげたいのが、親としての先生の気持ちです。」(創立以前の内的教会史)


 真の父母宣布とは何でしょうか? 皆さんが真の父母のようになって、御父母様がいなくても皆さんが父母になることができる世代を残すために発表したのです。ですから、真の父母というこの言葉は、すべての物事の完成ということなのです。神様を完成させることができるのです。そのようなことを言うと既成教会の信徒たちは、「神様を完成させるって?」と言うのです。神様は、絶対的な方であり、その方には何にも必要ないというのです。それは、違うのです。
 真の父母を宣布する目的とは何でしょうか? 「皆さんが世界に出ていって父母よりももっと世界のために生き、もっと重い十字架を負い、蜂の群れのように飛んでいくようになるとき、世界はたちまちのうちに神様の国になるのだ」ということが、父母として宣布する内容になるのです。「わあ、レバレンド・ムーンに絶対服従しろ!」と言う、そのようなことではないのです
。(一九九〇・五・二七、ベルベディア修練所)


「タマルは、自分の使命を完遂するために命を懸けたのです。そうではありませんか? 彼女は、神様のみ旨をなすこと以外には、何の目的も、何の考えもなかったのです。このようにしてタマルは、エバと全く反対の経路を歩むことによって堕落したエバの位置を復帰したという条件を立てたのでした」


「もちろん、私たちは母の胎内から生まれたわけですが、さらに一歩さかのぼって考えてみるならば、生命の起源は、父から出発するのです。母の胎内にまでさかのぼっていくことによって血統は交差し、復帰されましたが、この場合、まだ父を迎えずにいます。そのようなわけで今日までクリスチャンたちは、母の霊である聖霊の力によって生命の根源、すなわち、生命の起源であり父である、来たるべきキリストのもとへ戻っていくことを望み、待ってきたのです。堕落する前に既に息子と娘の生命は、すべて父であるアダムの体の中で一つの種として出発していたわけです。息子や娘になる種は、父の体の中にあるのです。
このようなわけで、誰にでも、母が現れる前に真の父と一体化しなければならない七年期間があるのです。それゆえに皆さんは、まだ結婚していない完成したアダムの体の中にある種の立場へ戻っていかなければなりません。根源へ後戻りしなければならないのです

つまり、私たちはすべて、堕落しなかった人間である父から出発しなければならないのです。結局、堕落しなかった独身であるアダムの体から出発した種が、母の胎内にとどまらなければならないのです。そこにある種は本物であり、私たちはその位置へ戻っていかなければなりません。そして、真実そのことは、統一教会によって成されるのです」



事物の背後に生きている神を見いだし
人の心の中に神の言葉を感じ
神の御霊は漸く人類に直接、注がれる時代になってきました


この運動にかかわった多くの人たちの涙と汗は無駄に消えたのではなく
その蕩減の基台の上に闇が晴れ、光が射してくる時代が顕れたからです


その蕩減の先頭を走り生涯を捧げた文師はこう言います


「私たちが誰かの言葉を聞く時代は過ぎ去りました。どんな真理よりも、千万倍素晴らしい師の言葉よりも、私の心(良心)の声を聞き、聞いても又聞きたくて、
その心を求めていくべきです。そうすれば、私も分からない無限大の何かが出てきます。それが創造の内容です」


血統の転換とは主体から愛されることによって心情が転換されることです
心から愛された人は生きていることに感謝し
例えそれが日常のどんな些細なことであっても
そこに生きている神を観ることが出来るようになるからです

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