目の前にいる神様

国や世界が混迷していることは誰に聞かなくても分かります
情報が偏っていると言われても世界中に起きている悲惨な現状は
誰もが知ることが出来るようになってきたからです


大衆を喚起するデモや運動はいつの時代も大きな転換をもたらしました
しかしその転機が過ぎるとまた同じような問題が繰り返し起きてくるのです
こうした社会変革が継続しないのは、結局
自己の変革が基礎となっていないからなのでしょう


「真の人間とは一眼を民族や国の行く末に置き
一眼を目の前のことに思いやる人です」 
森信三


教育者の森信三はどんなに立派な口上を唱えても
額に汗するあなたの周りの人があなたを支えていることを
忘れるならその言葉は虚しく消えていくものだというのです


磨かれた黄金の宮殿の中にいる時も
ゴミひとつない赤い絨毯の上を歩く時も
誰かが膝を屈めてゴミひとつない状態に磨いているからです


化粧した顔だけが美しいのではなく
見えない靴の中で全身を支える足もまた美しいのです
見えないものの美しさを支えるものこそが愛だからです


愛は謙遜であり奢ることもなく
対象の為に注がれるが故に
誰もが愛に価値を置くのでしょう


自分に向けられた栄光や称賛を
全て対象に与える人がいたならば
その人こそ神の人と呼ぶのです


何故なら神は神の全てを
対象の為に注いだからです


サタンとは別名この世の君と呼びます


サタンの野望は人を服従させ
富と栄光を自分に向けさせ権力によって支配する人のことです
この誘惑は力を持った暴君だけではなく宗教家も含めて
全ての組織の上に立つ者に必ず襲ってくる試練なのです


それ故に本物と偽物は対象に対する態度によって見分けることができます


実れるほどに頭を垂れる人は対象を尊く思う人です
頭を垂れることを知らない人は対象を跪かせる人です


「弟子はその師以上のものではなく、僕はその主人以上のものではない。
弟子がその師の様であり、僕がその主人の様であれば、それで充分である」


「あなたがたは、私が空腹のときに食べさせずに、乾いていた時に飲ませず、旅人であった時に宿を貸さず、裸であった時に着せず、また病気の時や、獄にいた時に、私を訪ねてくれなかったからである。『主よ、いつ、あなたが空腹であり、乾いておられ、旅人であり、裸であり、病気であり、獄におられたのを見て、私たちはお世話をしませんでしたか』その時、彼は答えて言うであろう。『あなた方によく言っておく、これらの最も小さい者の一人にしなかったのは、即ち、私にしなかったのである」


目の前の最も小さき者、悩める者、苦しむ者、そこに生きる神を見いださない限り
如何なる変革も時代と共に消えていくのです

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