合衆国における信教の自由と裁判

殆どの民主主義国家では信教の自由があります
同じ信仰を持つものが団体を結成する結社の自由は
法的に保障されているからです


併し乍ら歴史上、宗教上の意見の相違等により
内部紛争となり分裂する事例も多くみられます


不幸にして内紛が内部で合理的に解決できなかった場合は
米国でも法廷闘争となることもあったのです


米国における最初の事件は南北戦争に関連して起きた
プレスビテリアン教会での分裂騒動だったといいます
少数派が分裂して教会の財産を占有したことに対して
多数派が訴えたものです


判事の判断は少数派は教会から離れて行ったが故に
教会財産についての権利を有さないというものでした


その時の判事が下した法原則です


1) 宗教団体の内部の問題であったとしても
財産権や契約上の権利については他の団体と同じように
法の保護と規制の下にあり、他の団体と同様に扱う
2) 信託の形式で財産が移行されたとしても、その団体の多数派の意向によって
その財産は団体内における多数決の原則によって処理されるべきである
3) 宗教団体が教義と会員資格が上部団体による管理に
服している場合はその財産についてはその上部団体により正統派であると
確認されたものにその使用権がある


結論は


1)裁判所は教義解釈に触れずに済む事例の場合、即ち財産法上のことならば
法原則に照らして事件を解決できると言う事例が既にあるということです


2)教義解釈に関わる問題に関しては教団内部の多数派
或いは上部団体(真の父母?教会指導部?)の判断を尊重する必要があるとも
述べています


歴史上、米国ではキリスト教会の分裂における様々な問題が何度も提起されたようです
信教の自由に抵触するとして教会内で解決するべきだという意見があったことも確かです
併しダンベリーの事例を観るまでもなく教義に関することと税金や財産権等の
財務内容に関することは米国での判例を見ると一線が敷かれているように見えます


家庭連合側の理事をUCIが正統な方法に依らずに排除したことに対して
それぞれの側の主張はあるのでしょうが
これまでの合衆国の最高裁の判決をみるとUCI側に有利とも思われません
UCIが理事を解任して教会の財産を守ったといくら述べても
当時、最高責任者であった創設者の意向を無視していたことが
証拠として残っているからです


しかしこの上部団体の最高責任者である真の父母の位置にあった
文師が逝去したこと
また妻である韓鶴子総裁がその位置を外れたとなれば
状況は変わってくるかもしれません


旧家庭連合の独生女論はその意味では諸刃の剣となるからです


なぜなら今までの教義を否定して新たな教義を主張することは
組織の正統性が疑われることにもなり
また法的な上部団体の代表である真の父母が
唯一、絶対、且つ永遠ではなく位相のことであるとすれば
真の父母の権威が息子に移行することは可能だからです


宗教上の訴訟にはこうした信仰上の教義が含まれるので
司法は宗教に関与しないと言う「信仰の自由」が保障されてきたわけですが
この裁判の判決がどう下されるのかは分かりませんが
社会的に見れば母と子の遺産相続を巡っての争いにしか見えないのです


統一運動の中心家庭が崩れかけているにも拘らず
相変わらず大会を開いて「平和は私から」と唱え
理想の家庭は私に繋がることだと表明する韓鶴子総裁の心境は
まさに矛盾の最たるものでしょう


両者の和解こそが教義の正統性を示す一番よい方法なのでしょうが
昨今の韓鶴子総裁の言動はますます「我が道を行く」ようになってきました
過激な発言は信徒を混乱させ、
自分が良かれと思う道の果てに行詰まった断崖絶壁がないことを
心から祈るばかりです

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