文師のみ言にこんな表現があります

文師のみ言にこんな表現があります


「復帰のサタン世界においては女一人では
国家を中心として戦ってはなりません
必ず男と二人で一つになって共同作戦をすることによって
一つの基盤を為さなければならないのです」


1945年の第二次世界大戦が終了する前に
神の復帰摂理は外的にはキリスト教
内的には霊的祈祷団を中心として準備されていました


三段階の女性集団は蘇生期が金聖道、長成期が許孝琳、完成期が朴老母
男性集団は白南柱、李龍道、金百文でした


この男性と女性の流れが一体となって文師を支えることでした
しかし彼等は自分たちが何のために啓示を受け
霊的使命を担ったのかを悟ることが出来ませんでした


内的祈祷集団と外的キリスト教界が一体となれば
解放された韓国に2000年のキリスト教の恩恵が下るはずでした


霊的祈祷団の内的基台が崩れるとその結果が外的に現れてくるのです
アメリカを中心とした連合軍の勝利を韓半島に引き継ぐことが出来なくなり
文師は再び北へゼロの状態で復帰の蕩減路程を行かなければならなかったのです


文師が国家的な摂理は二人で進めなければならないと言われたのは
霊的な聖霊しか頼れなかったキリスト教の実体復帰がそこにあったからです


原理とキリスト教の根本的な違いは
摂理の中心には必ず男女の実体が必要なのです
実体の男女に寄らなければ霊的救いと同じ次元に戻ってしまうからです


だからこそ国家の復帰の基準には三代圏の実体的な勝利が必要だったのでしょう
原理は徹底して家庭が基本になっています
家庭には実体の父と母がいなければなりません
直系の子女様が勝利した第4次アダム圏の宣言は摂理的には最も重要なことなのです
だからこそ、その家庭を崩壊させようとする動きがあるのは当然のことです


韓鶴子女史の決定的な間違いは伝統の継承を子女の時代に任せることをしないで
自分が前に出て行なっていることです


み言にあるように
国家的レベルを超え世界的摂理を継承する為には
女性一人では戦えないのです


家庭連合がオモニとアボジは一体だという理論は
イエスの霊的摂理と何ら変わりません


顕進氏のアメリカでの超宗教的活動の意味は
南北統一に向けて国家の復帰は
失われた天使長圏(キリスト教、超宗教)を従えなければならないからです
超宗教の基盤の上に韓国に父母の立場で戻り
摂理の継承を実体家庭を中心として行っているのです


神と天使が一体となって創造する時に
問題となったのがエバでした
エバはアダムを支えるのではなく
主管性を転倒して全てを混乱させてしまったのです


国家の復帰と言う最終摂理は本来は基元節を出発点とするはずでした
基元節は実体的三大圏の勝利的基台の上に為されなければなりません
それは霊的父母ではなく実体の父母と三代が繋がらなければならないのです


韓鶴子女史が母の立場であったとしても
実体の文師は逝去したわけですから
三代圏を実体で示す男女が必要なのです
その実体の男女の三大圏が完成された家庭の上に
国家復帰の条件が整うということです


顕進氏は2015年まで韓鶴子女史が真の母の位置に
戻られることを必死で祈ってきたと言います


内的摂理の中心である韓鶴子女史がそのことに気が付かないうちに
内的真の家庭の分断が国家レベルにおいて外的に表れ始めているのです
日韓両国に吹き荒れる不信と分断は政治のみならず
経済や安全保障の分野にまで、まさに国の根幹を揺さぶる形で
表出しています


これを本然のかたちに戻すためにはエバ国である日本が
長子と一体化しなければ日本もまたその蕩減を受けるようになる
というのが原理だとすれば今の旧家庭連合の行動は恐ろしいことです


日韓併合で日本の中から生まれたアベルとカインが
38度線を境にいがみ合っている現状を乗り越えるためには
文師の使命を引き継いだ真の家庭に繋がる祝福家庭との一体化が必須だからです


すでにサタン側にあるカインの立場の金正恩は宣言しています
「日本を簡単に海の底に沈めることができる」
ミサイルが何回も日本上空を超え
核使用はあり得ないと箍を食っていると
ある日突然、想像することさえ出来なかった悲劇が
起こるのが摂理の非情なところです


本来エバ国は英国でした
しかし英国は世界中にキリスト教を伝える使命があったにも拘わらず
原住民を植民地化し奴隷制を導入して人間を蹂躙したのです
清教徒がアメリカに向かったのは神が英国を離れたからです


韓国併合の摂理的意味は日本(エバ国)が韓国(アダム国)を支え
援助しながら二国が一体となってキリスト教を広め
その基台の上にメシアを迎えることでした
そして迎えたメシアと一体となってアジアを含めて
蹂躙されていたアジアの植民地を解放することだったのです


八紘一宇とは人類は一家族だという意味です
残念ながら日本は最終的にキリスト教を迫害し
神道と言う民族宗教を中心としたので
神の歴史的摂理を継承することが出来なくなってしまい
解放するべき使命が侵略となって逆にアジアに
甚大な被害を与えることになってしまったのです


摂理においては中心宗教(キリスト教)は当然のことながら
周辺宗教(神道)にも神は働くのです
但し中心宗教の前に一体化することなく弾圧すれば
神の怨讐となりサタン側になってしまうということです


明治維新はメシアを迎えるための外的準備でした
韓国併合当時は日本でも内村鑑三を中心に再臨運動が盛んだったからです
初期の日本統一教会は周辺宗教である立正佼成会の出身者が中心でした
そこからクリスチャンだった先輩たちが復帰されてきたのは
偶然ではなく神の日本に対する深い配慮だったのです


話があらぬ方向へ進んでしまいましたが
摂理の中心は実体の父母でなければ
国を乗り越えることが出来ないということです

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