あるがままの神

「大地よ、これがあなたの願う処ではないのか、
目に見えぬものとして
我々の心の中に甦ることが?
それがあなたの夢ではないのか、
いつか目に見えぬものになることが・・・
そうだ、大地よ!
目に見えぬものとして甦ることが!
形あるものが形無きものに転身することをあなたは我々に委託しているのだ
大地よ、愛する大地よ、私はあなたの委託を果たそうと思う。
あなたが私と離れがたくなり帰依させるには数々の春は要らない・・・
一度の春
ああ、たった一度の春でいいのだ・・・」

ライナー・マリア・リルケ (ドゥイノの悲歌)


神は自然を人間の為に創造したのでしょうが
自然は美しいものばかりではなく地震や洪水、森林火災、干ばつ等
破壊的な災害も頻繁に起こります
コロナウイルスのような疫病で不幸にも親しい人を失うと
神も仏もないと呪詛する人もでてきます


こうした理不尽な人間存在の在り方を不条理というのでしょうが
もし神が世界をこのような形でしか創造できなかったとすれば
どうすれば良いのでしょうか?


私はその不条理をあるがまま受け入れることだと思っています
あるがままの事実を受け入れると神の全知・全能性や完全性を
全く違った意味で捉えることが出来るからです


こうあって欲しいと言う人間の正義や善、真理は願望であって
自然はその通りにはなっていません
雄大な自然の景観や野山に咲く花にどれほど感動しても
生あるものはやがて崩壊します


では一夜にして散っていく花たちは
無情で儚い不条理だけの存在なのでしょうか?
リルケは形ある広大な自然は人間に見られることによって
その存在が意味あるものとなるというのです


「ドゥイノ悲歌」という美しい散文詩の中で
「自然は無言のうちに常に私たちに委託している」と表現しました


自然の全ての存在物は人間に憶えられた瞬間に
「形無きものとなって」永遠を得ることが出来ると彼はいうのです


どこにでもある美しい花
満天の星の輝き
それが荒れ狂う嵐であっても
灼熱の砂漠であっても
あるがままの姿を受け入れると
自然が人間に委託していることが実感できないでしょうか?


見える物は見えないものがその背後を支え
その中心には泉のように溢れてくる心情の核があって
その核である神も同じように私たちに委託しているのです


肉体のもつ感性を通して
全ての関わり合いの中から愛の神秘を発見し
それを心の中に刻み込んでいくという人間の崇高な精神性こそが
いかなる困難をも乗り越えていくことが出来る力ではないのでしょうか?


あの東北大震災の後、生き残った人たちが
愛しい者たちを奪い去った暗い海を見つめながら
慟哭するような悲しみに暮れる時
頭上に瞬く星々の光に不思議な慰めを与えられたと言います


ありきたりの日常の生活の中においても
そのことに気が付けば人間は不条理を超えて尚且つ、
生きていることへの奇跡を希望として肯定することができるのです


一夜にして何事もなかったかのように陽は昇り
富める者にも貧しき者にも同じように光が注がれます
喜びがあり悲しみがあり、悩みや苦しみがあっても
それを超えて、天上に輝く闇を照らす厳粛な光の中に
生を肯定する不思議な力を感じるのは
全ての喜怒哀楽を人間に委託している神がいるからでしょう


たった一度の春・・・・
たった一日の愛するものとの語らい
それを心に刻むこと
これこそが儚い形を超えて永遠に残る
愛の本質なのではないのでしょうか?


全ての委託を受け入れそれを心に刻むと
悲しみが友となり、涙も友となる


その時
あるがままの神に出会うのです

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