真の家庭内に於ける確執

聖書の摂理的人物における兄弟間の確執にはカインとアベル、
イサクとイシマエル、ヤコブとエソウ、イエスと洗礼ヨハネ(父ザカリア)などが
象徴的に描かれています


彼らの確執によって摂理が延長したり失敗してきたと言うのが原理的な摂理観です
復帰歴史の目的が「理想のアダム家庭」にあるとすれば
理想実現の為の蕩減復帰の理論でいえば中心的家庭内にも
兄弟間の問題が出て来るとも言えます


組織が大きくなればなるほどそれを束ねる権力の奪い合いが生じます
特に創始者が晩年になると必ず起きる問題の一つに後継者問題があります
誰が創始者の意向を相続するかと言うことに関して
韓鶴子女史と息子たちの間に何があったのでしょうか?


韓国の伝統的相続は長兄の男子となっています
長男の孝進氏が亡くなって以来、文師は生前、公的にも顕進氏を次期後継者として
内外に発表したことがあります


ではそのことに関して他の兄弟たちは全面的に賛同していたのでしょうか?


問題の始まりは顕進氏と国進氏の確執から始まったと言われます
事の発端は国進氏の不倫離婚問題がきっかけだというのです
顕進氏が離婚に強く反対していた理由は真の家庭のあるべき姿として
離婚をすぐには受け入れることが出来なかったからだと言います
その反面、7男の亨進氏は兄、国進の悩む苦労の心境を知っていたのか
彼を理解して擁護する立場に立ったといいます


その結果、それまでの顕進氏と亨進氏の良好な関係が
このことを境に国進、亨進VS顕進と言う関係図になったと言われます
その後国進氏は再婚したのですが、彼は自分の事情を叱責した兄に対して
遺恨を持つようになったというのです。
それが明確に表れたのが顕進氏を追い詰める訴訟問題であり
あらゆる機会に衝突する兄弟関係に現れています


この兄弟間の確執を収集しようと文夫妻は束草に三人を
呼ばれたと言うことですが、ここでも顕進氏と国進氏及び享進氏は
兄と和解することなくそれが兄弟間の分裂へとつながって行ったというのです


「一年間休んで私の側にいなさいと」言われた文師は
兄弟の争う姿を見て顕進氏を自分の傍において
兄弟間の確執を解決させようとしたのでしょう


2006年2月 清平で開催された天一国指導者大会で下記のような言葉を
語っています
「顕進、何のことかわかるか?国進、分かるか?亨進分かるか?3兄弟が手をとって
神様がアダム家庭で3人の息子が一つにならずに戦って血だらけになり涙の谷をつくって洪水、太平洋の水のように作った血の海のような家庭の伝統を埋めなければならない責任が我々父母様を中心とした直系の息子たちのお前たちにあると言う事実を知らなければならない

その後においても
2008年4月 第49回まことの父母の日記念式典、ハワイでは
「お母様とカイン・アベルの三人が一つになり、アダムを中心として夫を堕落させる根本の元凶となった位置を踏み越えてひっくり返し、父が成しておいた位置をつかんで、そこに上がっていくことによって、堕落がなかった、神様が直接連結された血統と真の愛、真の生命の因縁と一致し、真の血筋が連結するのです…明確に締めくくりました.わかりますか?
貴方たち兄弟同士で争って分かれることは出来ません。それが父母を殺した元凶です。ですから我知らず憎みます、声を聴くのも嫌で、歩いていくのを見れば後ろから言って殺したい思いが出てきます」


ここまで言われながらも
実際は国進氏と亨進氏は母親と一体となって兄である顕進氏を
追い出してしまうことになったのです
国進氏は「アベルはカインに殺されたから摂理は長く延長されてしまった、
もしアベルが強かったなら、きっと殺されなかっただろう
」と言い
アベルは武器をもってもっと強くならなければならない」と語るのも
この兄との確執があったからでしょう
又この考え方が現在のサンクチャリーの武器所有の考え方にも
繋がっているのかも知れません


こうしたアダム家庭の本然の在り方を支えるべき立場にあったのが
母親の母子協助にあったことは言うまでもありません
しかし結果的には母親は長子である顕進氏より亨進氏を
後継者に立てようと背後で画策していたのです


その動画が他でもない寝室での亨進以外は爆破者・異端者だと言う宣言文でした
その宣言文を書いているときの亨進氏のそわそわとした落ち着きのないしぐさが
見るものに異様な感じを与えるのは長子の位置を自分が相続者として
だましてとる狡猾なヤコブのようなイメージと重なるからでしょうか・・・


追放された顕進氏が帰ってこない限り基元節はないと言われ
父母を中心に兄弟が一体化することが何よりも基元節の条件だったのでしょうが
基元節前に逝去された文師がいない今となっては基元節が成功したのか、
まだ終わっていないのか全ては闇の中に隠されてしまったかのようです
摂理的葛藤とは他でもない真の家庭内から始まっていたのです
しかも驚くべきことはその全ての背後に韓鶴子女史がいたと言うことでしょう


今となっては息子たちを皆追い出し、全ての実権を握り
「6000年の歴史の目的は自分を迎えることだった」と豪語し
最近の裁判の法廷証言ではサンクチュアリの弁護士の質問こう答えています


「文牧師は原罪を持って生まれたのか、原罪を持たずに生まれたのか?」
の質問に対して


「文牧師には両親がいて沢山の兄弟姉妹がいました
私は彼の兄弟姉妹は原罪無くして生まれたとは私は言えません。
あなたはそこから推論できるはずです」
と述べ


「文牧師は私に会って初めて真の父母になることが出来たのです」


「私に会うプロセスにおいて、文牧師が私に会うまでは彼が
原罪がなかったとは言えない。支払わなければならない蕩減条件があった」


「私は原罪なしで生まれたから、私は独生女である。」
と明確に独生女無原罪論を法廷証言で語っています


摂理の混乱は常に嫉妬や恨みが原因となります
真の家庭内でのこうした確執は兄弟のみならず
文夫妻の中にも生じていたからこそ無原罪者は誰なのか
と言うような本質的問題が公的な裁判の証言でも述べられたのです


ここまで明確になると
この運動に於ける祝福とは何かと言うことにもなってしまいます
なぜなら祝福の権限は独生女である唯一無原罪の韓鶴子氏が登場しなければ
完遂することが出来ないと言うことになるからです


終わりの時には全てが混沌とする」と言うのはこういうことを言うのでしょう


まさに大地にしっかりと足をつけ自立の根拠となる良心に根を下ろして
一人ひとりが自分と神の関係をもう一度しっかりと構築することが
何よりも大切だということを神が教えているのでしょう

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