摂理観を失った統一運動 その1

闘争の歴史・・・財産を奪い、土地を略奪し、人間を奪いあう闘争は、
人間社会の発達と共に展開され、今日に至るまで悠久なる歴史の期間を通じて、
一日も絶えることなく続いてきたのである。則ちこの闘いは家庭、氏族、民族
国家世界を中心とする闘いとして、その範囲を広め、今日に至っては民主と共産の
二つの世界が最後の闘争を挑むと言う処にまで至っている・・」

原理講論・人類歴史の終末論より


この闘争する世界を本然の理想世界にする最大のメッセージがキリスト教では
「敵を愛し、迫害するものの為に祈る」という精神でした
しかし実際のキリスト教史は力による闘争の歴史でした
磔刑となって罪人を許すイエスの「敵をも許す」教えは
個人のレベルの話であって民族や国家のレベルにおいては
その精神性を実現することは出来ませんでした


韓鶴子女史が言うように韓国人が選民として選ばれ
キリスト教が成就出来なかった神韓国の実現を南北統一を中心として
果たそうとするのなら韓国人は「恩讐を愛する」群れとならなければなりません


ではその最初の国家復帰の摂理はどこにあったのでしょうか?
文師の生涯路程の文献によると韓国が選民としての価値を顕す最初の機会が
1910年の日韓併合から35年後の1945年の終戦までの間にあったと言うのです


16歳の時にイエスの残された使命を相続したと言うのは
迫害するものに対する神の愛の偉大さを民族や国家レベルで実現する
使命でもあったのでしょう


朝鮮半島におけるキリスト教は韓国人のみならず
それを発展させたのは皮肉にも日本人だったのです
神の摂理から見れば日本と韓国が統一された環境圏を準備して
その基台の上に文師が立つ予定だったと言います


1945年の終戦はキリスト教連合国の勝利でした
全世界が巻き込まれたこの第二次世界大戦は原理観から見れば
最大の蕩減条件が払われたと見ることが出来ます
ところが韓国キリスト教は国家的な摂理に目覚めることなく
文師を追いやってしまうことによって失敗してしまったのです


では何故失敗してしまったのでしょうか?
国家的レベルに於ける「恩讐を愛する」条件とは韓民族による
日本への許しと自由と民主主義の国家建設をすることではなかったのでしょうか?


当時の李承晩大統領は軍事力を放棄させられた日本に対して
李承晩ラインを一方的に設置し、竹島(独島)を奪還してしまいました
このことが今も両国間の問題として日韓紛争の象徴になってしまっています
この島の領有権こそがまさに戦後の日韓に於ける不信の始まりとなったのです
李承晩ラインは愛と許しではなく日本への報復として引かれたのです


同時に終戦後の統治において連合国は北をロシアや中国に任せ
日本の北方領土もロシアによって占領されたままに放置してしまいました
終戦まじかにスターリンを連合国に引き入れたチャーチルとルーズベルトは
その時点において既に共産主義者の付け入るスキを与えたのでしょう
この連合国の曖昧さと韓国の大統領による日本に対する政策から
朝鮮半島の統一を図ろうとした神の摂理に反することになってしまったのです


その結果、李承晩大統領の政策は日本の再軍備化に対する懸念と
北の共産主義と言う二つの敵に目を向けなければならなくなってしまい
当初、意図した日韓不可侵協定が連合国によって反故にされると
サンフランシスコ講和条約を締結したアメリカの政策に対しても
李承晩政権は不信を抱き、このことが反日の出発となったのです


こうして国家レベルに於ける恩讐を愛する韓民族の使命は
連合国の共産主義融和方針と韓国政府の日本排除によって
怨讐を愛する条件を失ってしまったのです


その結果が文師をも迫害することに繋がり
これが後の朝鮮戦争の原因ともなり南北の分断に繋がったのです
分断された南北を統一し韓半島を中心として自由と民主主義の思想を
根付かせる運動を半世紀以上行ってきたのが統一運動なのでしょうが
文師亡き後、その使命を誰が引き継いでいるのでしょうか?
また中国政府はこの韓半島問題に対してどのような戦略を持ち
ひいては世界をどのような方向にもっていこうとしているのでしょう


その2に続く

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