オーナーシップの時代

共生共栄共義主義の模型は家庭の中に見ることができます。

そこには父母を中心として共同体の雛形があります。


子供が小さい時は確かに父母からくる

指導によって家庭はまとまりますが、

成長して青年になると、それぞれに知性や人格が形成され

分野によっては父母よりも優れた面が出て来ます。


そんな時、自分の親が強制的に成長した子供に向かって

「私に従え」と言えば、自立心が芽生えて来た子供は、いつまで

子供扱いするのかと言うでしょう。


共生とは互いの人格を認めて

生活することです。


共栄とはその認め合った人格の中で

繁栄する世界を共に築くことです。


そこで初めて同じ心情圏の共義の世界が始まるのでしょう。


UCの問題点はいつまでたっても子供の時の状態から

抜け出していない点にあります。

中心の命令は絶対だと言う言葉から

抜け出ることができません。


では上からの指令に服従し忠実になると、どのようなことが生じるのでしょうか


政治的には全体主義に似てくるのです。


金正恩の前に繰り広げられる北朝鮮の国民の振る舞いは

全体主義の中に生きる典型的な反応です。

全員が同じような服装で、同じように拍手をし、

全ての思いを中心に向け、中心者を讃える光景は

まさに異様な世界です。


そこには上からの命令に従わないものは

粛清され、一切の分派活動を許さない、極端な

思想統制が敷かれるのです。


見るな、聞くな、絶対服従の、ひたすら

金王朝存続のための独裁体制です。


シンガポールで開催される米朝会談の重要な約束事にその

独裁体制を保証することが非核化の取引となっていますが、

考えれば考えるほど人権を無視した恐ろしい取引です。


ある外部の友人に

週刊ブリーフィングで放映されるUCの会合や

集会を見せたところ宗教版の金王朝だと揶揄されました。


もちろん心情は天地の差があるのでしょうが、

外部の人から客観的に見ると残念ながら

同じように見えるのです。


それは人間の独立性、自主性を未だ幼少時のように中心者が

管理しているからです。


金正恩の語る言葉を一言一句漏らすまいと小さなノートを片手に

必死で書き連ねる北朝鮮の指導者の姿はUCも同じです。

各地での活動の報告も毎回似たような内容でしかも事実を

淡々と語るのではなく、虚飾化され大袈裟に報告されているように見えます。


蕩減時代と言われる先天時代は確かに

中心と一つになってみ旨を走る必要があったのかも知れません。

何故ならその方が効率的だからです。

しかし今、時代は後天時代と呼ばれて久しく、

家庭内の、子供たちは成長しそれぞれが独立していく時代です。


父母を中心としたリーダーシップ体制から

一人一人が社会や世界に対して責任を持つ

オーナーシップの時代に入っているのです。


熱狂的、妄信的な自己陶酔型のスタイルから、

もうそろそろ卒業すべきでしょう。


ほんとうの共生共栄共義主義が始まるのは

まさに一人一人がオーナーシップの意識を確立するところから

始まるのです。


嘗て文師が3男の息子に向かって「暫く私のところにいなさい」と言われた時に、

その言葉に従わずに出て行ってしまったことに対して、

UCでは一様に不信仰な息子だと非難を浴びせました。


なぜなら親がそう言ったからです。


後に聞いた話の中に彼はその時こういったそうです。

「いいえ、どうすれば良いのか、あなたが出会った神に直接聞いてみたい」

そう言って出て行ったと言います。


私はその言葉にふしぎな共感を持ちました。


何故ならそれこそが自分が直接神に対峙する

後天時代のオーナーシップの始まりだからです。


親は子供の成長と子供が自分以上の人間になってくれることを

何よりも願うはずです。それはメシア家庭においても同じではないでしょうか。


自分で考えながらそれに共感しながら

お互いの理解を深めていく時代がやって来ました。

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